小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

841 歯車が狂うと・・・ 想像力の欠如、それとも確信犯?

 腹を立てるのは体に悪いといわれる。できるだけ笑顔で過ごすことが健康を維持する秘けつでもあるそうだ。それを知りつつ、最近腹を立てることが少なくない。

  東日本大震災と東電福島第一原発事故の国や東電の対応には「憤激」という言葉を使わざるを得ないほど失望した。そんな状況が依然続いている。「想像力」を働かせれば、最悪の事態に至ることはないはずなのに、日本人の心は壊れかけているのだろうかと、心配になる。その筆頭は菅直人首相だといっていい。

  こんな話は書きたくないと思うが、3・11以後の日本を象徴する出来事として、記しておく。いずれも相続力の欠如なのか、騒ぎになることを知りながらやってしまった「確信犯」なのか。本人が入院したという民主党松本龍前復興相の被災地の岩手、宮城両知事への問題発言の内容はここでは省くが、テレビや新聞の報道を見る限り、だれでもその不穏当さに怒りを覚える。だが、実際に現場で取材した記者たちのすべてが「おかしい」と思ったわけではないというのだ。

  両知事とも松本氏と会ったあと落ち着いていて、暴言に対して抗議するような姿勢を見せなかったため、ほとんどの記者は暴言を真っ向から記事にしようとは考えなかったというのだ。これでは被災地を上から見ている松本氏と同じ感覚だと指弾されても、抗弁はできまい。要するになあなあなのだ。鋭敏さを失った、いわゆる大人の記者が多いのかもしれない。

  もう一つ。九州電力玄海原発運転再開をめぐる「やらせメール」のことだ。国主催の説明会の番組に関して、九電は賛成の意見を番組に送るよう子会社の社員らにメールを出したが、これが上層部も関与した組織ぐるみの動きだったことが判明しつつある。内部告発で発覚したこの問題だが、関係者は発覚した場合のことを考えなかったのだろうか。

  電力会社は競争相手がいないために、問題を起こしても(替わりはないので)そう大したことではないとタカをくくる土壌がある。競争が激しい分野ならこんなことはできない」という解説を聞いたが、その通りだと思う。

  海江田万里経産相との会談後、運転再開に前向きな発言をした古川康佐賀県知事の父親は、元九電の社員でしかも玄海原発PR館の館長を務めた。親子といっても考え方が違うかもしれない。しかし九電から個人献金も受けているというから、彼の立ち位置が中立といえるかどうかは疑問だ。

  さらに地元玄海町の岸本英雄町長は一度は再開を容認し、国のストレステスト(耐性評価)実施という方針で撤回したが、彼の実弟が経営する建設会社が、九電から15年にわたって計54億円の工事を受注し、町長自身もこの会社の株主だったことが報道されている。九電の「自信」「強気」の背景には、こんな事情もあるのだろうか。

  東電原発事故の経産省広報担当の西山英彦審議官が女性スキャンダルで担当を外され、木村雅昭という前の資源エネルギー次長のインサイダー取引問題も発覚した。経産省はいま、国民から一番注視されている役所である。そのキャリアたちが想像力欠如の行動に走っているのだから、どうしたものか。一方で、公務員制度改革を主張する古賀茂明 という官僚は辞任を迫られ、たしか15日がその回答期限のはずだ。文字通り「たった一人の反乱」に終わってしまうのかどうか。

  例年より早く梅雨が明け、猛暑が続いている。節電の夏、さわやかな話題がほしいと思う。