小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

633 野菜づくりとインドのヨガ聖人と

  家の東側に少しだけ空いた土地がある。東側とはいえ隣の住宅があるため、日当たりはあまりよくない。ここに最近、野菜を少し植えてみた。

  どの程度育ち、収穫できるかどうか「実験」みたいなものだ。植物は太陽の光を借り、空気中の二酸化炭素と根から吸収した水を使って養分を作り、酸素をはき出す(光合成)仕組みだから、その成長に太陽光が欠かせない。

  野菜には日当たりがいい場所を好むものと日陰を好むもの、その中間といろいろ種類があるが、これまで貸し農園で栽培してきたのは日当たりのいい場所を選ぶ野菜だった。日当たりのあまり良くない我が家の東側は、これまで貸し農園で作っていたナスやキュウリ、トマト、ピーマンなどがうまく生育するかどうか微妙である。

  何しろ、日が当たる時間は、一日で最大3時間か4時間程度なのだ。それを承知でナス、キュウリ、ピーマン、トウガラシ、ゴーヤを植えてみた。まだ10日ほどしかたっていないが、キュウリとゴーヤだけは順調に育っている。

  こんな実験みたいなことを始めたのは、貸し農園の閉鎖通告を受けたからだ。それにしても、うまくいくのだろうか。期待薄だろうが、あと1月もすれば順調に育つかどうか、結果が分かるはずだ。

  野菜は光と養分が大切だ。それは人間にとっても同様であり、栄養を取らなければ、人間は生きられない。しかし、最近インドからそれを覆すようなニュースが伝わってきた。飲まず食わずの「ヨガの聖人」が存在するというのだ。

 「インチキ説」もあるが、テレビなどでは「本当の話」と報じられている。この82歳のヨガの聖人は、70年以上も飲まず食わずのまま生きているというのだ。

  インド国防省が30人の特別医師団を編成して聖人を入院させ、15日間にわたって24時間観察を続けた結果、一切飲食はせず、排泄行為もしなかったという。「日光をエネルギー源にしているのかもしれない」「食糧が尽きた場面で兵士が生き延びる何らかのヒントが得られるかもしれない」などの声もあるとこのニュースは伝えていた。

  これに対し、日本の医学者は「人間は植物のように光合成はできない。本当かどうか信じることはできない」という見方をしている。常識ではそうだし、私も何か裏があるのではないかと思う。だが、世の中には「不可解な現象」が数多く存在する。それを考えれば、インドの聖人の話もすべてがインチキだとは言い切れない。

  先日、国連環境計画金融イニシアチブ特別顧問である末吉武二郎さんのこれからの企業活動の在り方をテーマとする講演を聞いた。「いまのような日本人の生活を全世界の人がやることになったら地球が2つ必要で、米国人の生活なら3つが必要になる。そんなことができるわけがない」と述べ、「長期的価値を追求し、経済と環境、社会のバランスをとることが重要だ」と強調していた。

「グリーン経済」というらしいが、インドの聖人のような生き方ができれば、この地球もだいぶ変わるだろうと思う。とはいえ、聖人君子の生き方は、私のような凡人にはできない。