小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

211 おおみそかに思う 時代の変化

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 小さな貸し農園で野菜をつくっている。もう10年になるというのに、収穫はほかの畑に比べよくない。貧弱さに同情して近くの畑の人たちがおすそわけをしてくれる。収穫が少ない理由は分かっている。無農薬だけでなく、手入れを怠っているからだ。 (写真はことし訪れたコロンボのホテルの風景)

 現金なもので、野菜たちは肥料をやり、手入れをきちんとすればちゃんと育つ。ずぼらな人間に合っている野菜はジャガイモとダイコンであると分かっているので、この2つの品種は必ず植えつける。そして、この冬ダイコンは見事に成長してくれた。だが、中には育ちすぎた結果巣の入ったものが見つかった。

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               (巣の入ったダイコン)

 ダイコンは日本の代表的な野菜で、作付面積、生産量とも全野菜の中で一番多く、種類も100以上ある。食材としてダイコンは昔から日本人に人気が高い品種といえるだろう。巣が入るのは育ちすぎが原因であり、その意味ではこの冬のダイコン栽培は成功したのではないかと自画自賛する。 こんなことを書くと、家人から「何もしなくともどんどん育ってくれただけじゃないの」と冷やかされそうだが、実はこれまでわが家の農園で巣が入ったダイコンを見たのは初めてなのだ。巣が入ったダイコンは抜き取って畑の隅に捨てた。

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                  (きれいなダイコン)

 ダイコンの成長ぶりを見ながら、冬休みなのに戸外で遊ぶ子どもたちの姿が少ないなと思った。私の住む街は子どもたちも多く、駅前には学習塾が林立している。寒くとも私たちの時代は、外でさまざまな遊びを考案して日が暮れるまで家には入らなかった。しかし、時代は大きく変化した。

 子どもたちが自由に遊ぶ時間は少ない。休みでも塾通いや習い事で時間を使い、空いた時間は外で遊ぶよりも室内に閉じこもる。それがいまの子どもたちの日常だ。霰(あられ)が舞った昨日など、外で遊ぶ子どもの姿は全くなかった。 夕方、娘と一緒に犬の散歩に出る。風が冷たく、体感気温は相当低い。そんな中、小さな公園で女の子が1人で凧揚げをしている姿があった。娘はうまく行かない少女を見て「手伝ってあげれば」と言うが、杞憂だった。

 少女はすぐに風の中でうまく凧を揚げ始めたのだ。私は想像する。この少女の母親は娘を伸びやかに育てているのだろうな、いまごろは娘を公園で遊ばせながら正月のおせち料理をつくっているのだろうな、と。こんな家庭もある。少女よ、伸びやかに育てと思う。 ことしもおおみそか。年を取るに従い1年が過ぎるのが早く感じるという。その通りだ。「光陰矢のごとし」の思いで2007年も暮れる。