小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

558 最近の新幹線事情 旅の恥は

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 JR東海東海道新幹線に乗った。東京から静岡までの比較的短い距離だ。しかし、往復とも傍若無人の女性客と出会ってしまい、集中して本も読めず、つかの間の居眠りもできなかった。 日本人のマナーはここまでひどくなったのか。9月に観光で訪れたスペインで、新幹線(AVE)に乗った際、高校生と思われる若い女性2人がずうっとおしゃべりを続け、参ったことを思い出した。

 たしかに旅は楽しい。仲良しのグループで行けば、話が弾むのは理解できる。東京から近くの席を占めた女性グループは5、6人だった。その中でひとりだけ、ひときわ大きな声を女性がいて、話の輪は彼女を中心に続く。昼は何を食べようか、その洋服は素敵ね、だんなはどうしてる等々、話は際限なく続くのだ。しかも、途中の駅から乗ってきた中国人のグループがこれに輪をかけて大きな声で話をするから、本を読んでいても、内容が頭に入らない。

 帰り。静岡から私が乗った車両は女性と子どもたちで占められている。またもや、いやな予感がした。それは当たっていて、小学生と思われる子どもの母親の声は車両の半分まで聞こえるほど甲高い。 新富士駅を過ぎると、車窓から雪を抱いた富士山がくっきりと見えた。車内から歓声があがる。「すごーい」「すごーい」の連発が女性たちから発せられる。ほかに表現はありませんかねえと私は声に出さすに毒づく。

 その後は、あの甲高い声を持ち主の独演会だった。聞き手はもうひとりのお母さんだが、こちらは低音でほとんど気にならない。だんなの話、子どもの学校の話、どこのレストランがおいしいか等々。まあ他愛のない話の連続だが、話し手は夢中なのだろうか。同じ車両の近くに座ったのは、不運としか言いようがない。

 そういえば、スペインの新幹線(AVE)でコルドバから終点のマドリードまで約2時間おしゃべりを続けた少女たちの話題は何だったのだろうか。たぶん、ボーイフレンドのこと、学校のこと、家のこと等々、こちらも他愛のない話だったかもしれない。旅は楽しいから、つい羽目をはずしてしまう。「旅の恥は掻き捨て」を実践する人が多いのは、世界共通のようだ。

 旅情という言葉がある。その意味は、旅でのしみじみとした思いだ。近代的な新幹線でも「旅情」を味わいたいと思っている人は少なくないはずだ。声高なおしゃべりはそうした願いに対する挑戦のように思えてならない。(写真はスペイン新幹線AVE)