小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

362 日本人が失ったものは 初冬の公園にて

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 ことし6月、秋葉原で7人が殺された通り魔事件があり、7月にも八王子の書店で通り魔事件が続いた。22日夜、警視庁に出頭した元厚生次官を狙った連続殺傷事件の容疑者も動機ははっきりしないが、過去や現状に対する不満を殺人という形にしたのではないかという印象を受けた。 発想は、だれでも殺せばいいという通り魔と似通っているようだ。

 一部の報道によると、この容疑者が幼いころ大事にしていた犬を家族が本人に知らせずに保健所に処分してもらった。テレビ局のホームページには、容疑者と思われる人物からの「犬を殺した保健所へあだ討ちのために決起する」という趣旨の書き込みがあったという。 それがなぜ元年金官僚へと結びついたかは、警察の調べに待つしかないが、犯罪に至るまでに追い詰められた40代の孤独な男の人生とは何だったのだかと思う。

 一度挫折したら、普通の日常を取り戻すことが容易でないのが現代社会である。その結果、重大犯罪が続発する時代になってしまった。我慢ができずに、暴力を振るってしまう「新老人」も増加しているという。 作家の柳田邦男氏は、現代を「異常が普通の時代」(壊れる日本人)と表現した。急激にIT化が進んだ結果、日本の社会から何かが失ってしまったというのである。

 柳田氏の言うようにいまや「異常が普通の時代」になっているのだろうか。 きょうは11月23日。午後から太陽が顔をのぞかせた小春日和の勤労感謝の日だった。近くの公園に犬を連れて散歩に行った。紅葉はほぼ終わっていたが、多くの家族連れが食事をしたり、バドミントンをしたり、遊具に乗ったり、私たちの同じように犬と戯れていたりと、それぞれがのんびりとした時間を楽しんでいる。

 人々の表情は明るい。これが普通の世界なのだと思った。 公園を歩いていて、友人の1人の話を思い出した。この友人は、パソコンが壊れた結果、自分の時間を持てたというのである。元々テレビはあまり見ない。夏前にパソコンが壊れてからは、インターネットもメールもストップしたままだった。 つい修理に出しそびれた結果、パソコンなしの生活もいいと思えるようになり、それが普通になったという。

 それまで以上に読書し、物を考える自分の時間が増えたに違いない。IT化によって、多くの日本人が失ってしまった時間を友人は味わったのかもしれない。(写真は、メタセコイア並木の紅葉)