小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

269 息を聴け 熊本盲学校の音楽への挑戦

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 視覚に障害のある音楽家は少なくない。バイオリニストの和波孝禧と川畠成道は豊かな才能に恵まれ、第一線で活動を続けている。2人の演奏をテレビで聴くと(正確には見たというべきか)ただ感嘆するばかりだ。 しかし、健常者は視覚障害者が音楽に取り組むのは容易ではないと見る。打楽器奏者の冨田篤もそんな思いで、熊本盲学校から打楽器アンサンブル指導をしてほしいという依頼を聞いた。

 出会った盲学校の生徒は、冨田の先入観である「孤高」「人を寄せつかないイメージ」とは違う「普通の人」だった。それが冨田をして指導を始めるきっかけとなった。 富田自身は自身が打楽器を演奏して録音、生徒たちに聞かせてそれをなぞらせる。メンバーへの指導は、試行錯誤、あるいは悪戦苦闘の日々だったようだ。

 それを乗り越えて、着実に力をつけていくメンバーたち。大会に出るために冨田は英仏百年戦争でフランスを勝利に導きながら、宗教裁判で火刑になったジャンヌ・ダルクをモチーフにした「ジャンヌ・ダルク~8つの打楽器群のための」を作曲する。

「息を聴け」(新潮社刊)は、冨田自身の打楽器との出会いから、熊本盲学校の生徒たちを指導し全日本アンサンブルコンテストで優勝させるまでを綴ったノンフィクションだ。 2005年に大学の部にエントリーした盲学校は、熊本県大会、九州大会と勝ち進んで、全国大会への出場を果す。埼玉県所沢市で開かれた全国大会の8人の演奏を記す冨田のペンは冴えている。その内容はここでは書かない。

 しかし、読者は5頁に及ぶ演奏の記述を読むと、ジャンヌ・ダルクの悲劇の物語の演奏を聴いているような錯覚を受けるはずだ。この大会で熊本盲学校は「金賞」(最優秀賞)を受ける。 ハンディキャップを持っていても才能は限りないことを示している。だが、冨田のような熱心な指導者がいなければ、生徒たちの才能は開花しなかっただろう。 音楽の世界だけでなく、あらゆる分野で傑出した指導者の存在は貴重だ。そうした指導者に出会える人はそう多くはない。