小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

987 寺田寅彦と正岡子規 高知県立文学館の「川と文学」展にて

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 高知市にある高知県立文学館をのぞいた。「川と文学」という企画展が開かれていた。高知出身の作家や高知にゆかりのある作家、高知を舞台にした文学作品に関しての資料が展示されていた。  

 それにしても高知県にゆかりのある文学者の多いことに驚いた。 井伏鱒二、大原富枝、寺田寅彦吉井勇安岡章太郎笹山久三宮尾登美子山本一力坂東眞砂子有川浩……。多士済々なのだ。

 文学館で入場券を買うと、抽選がありますといわれ、くじを引くと、一枚の絵ハガキが当たった。それは寺田寅彦の「つるばら」という壺に入ったばらの絵だった。 川と文学の展示室には宮尾登美子の直筆の原稿が展示されていた。

 その原稿は力強く、勢いのある文字でつづられていた。その文字からは、宮尾のまっすぐな精神を感じた。ちなみに高知生まれの宮尾は、「宮尾版 平家物語」を書くために、5年間北海道の伊達市で生活をした。その縁で伊達には「宮尾登美子文学記念館」がある。 川と文学という企画展である。

 高知には四万十川仁淀川という名流があり、文学者たちは、この川を題材にして多くの作品を書いたのだ。もちろん、宮尾登美子にも「仁淀川」があり、笹山久三は郵便局で働きながら「四万十川」という6部にわたる名作を書いた。

 この企画展の隣に「寺田寅彦記念室」があり、絵はがきの絵もあった。物理学者と随筆家として知られている寅彦は、好奇心旺盛な人物だったらしく、音楽にも興味を示した。バイオリンやチェロも演奏したという。それが記念室に展示されていた。当然のように、絵も描いた。

 寅彦が絵を始めたのはどんな背景があるのだろう。高知で中学を終えた寅彦は熊本の第5高等学校(現在の熊本大学)に入り、英語の教師だった夏目漱石と知り合い、漱石の紹介で俳人正岡子規とも交流する。子規は絵も描いていて、常に「写生が大切」といっていたそうだ。それを寅彦も聞いていたのだろう。

 物理学の研究者として全盛期に病気になった寅彦は、静養中に絵を描き始めた。水彩画から油絵とかなりの絵を描いたそうだ。 「一芸に秀でれば百芸に通じる」という。まさしく寺田寅彦という人物は、これに当てはまる。夏目漱石を通じて正岡子規を知り、子規たちが主宰していた「ホトトギズ」に文学作品や絵を発表したことで、物理学以外の才能が開花した。人の運命は不可思議だと思う。