小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

276 300年の伝統を見る 富山の薬売り

  子どものころ、「富山の薬売りのおじさんがやってくるよ」といわれるのが楽しみだった。夕方になると、いつもの優しいおじさんが家に来て、薬箱を点検する。使った薬を補充し、その金額を精算すると、おじさんは私にいつものお土産を渡してくれる。紙風船だ。時には私の頭をなでながら饅頭もくれた。年に2回彼は定期的にわが家に来て、泊まって行った。大人になっても「富山」と聞くと、このおじさんを連想した。

  富山は家庭薬の伝統が脈々と続き、販売員が全国を回っている。今月、富山に行き、薬の販売員とともに家庭を回る体験をして、子どものころを思い出した。いまでも「薬売りのおじさん」を待っている家庭が多いと聞いた。しかも彼らは土産にいまも紙風船を持って行くという。

  彼がわが家に来るのは、卯の花が咲く5月ごろと、柿が色づく11月ごろではなかったかと記憶する。自然に恵まれた地方で育ち、戸外で遊び回った。しかし学校以外で会う人は少なく、薬売りのおじさんは肌合いの異なる貴重な存在だった。

  食事をしながら、珍しい話を聞く。もうその内容は忘れたが、おじさんは話術に優れていて、面白かった。家族は夜遅くまで話を聞く。私は食事を終えるとおじさんのひざの上に乗る。おじさんは、故郷に残している子どもを思い出すのか、私の頭をなでながら話を続けるのだった。

  富山の薬の販売員が顧客を大事にする姿勢は、いまも変わらない。「先用後利」(先に薬を使い、後で支払う)という方式は、顧客との間で信頼関係がなければ成り立たない。こうしたやり方で300年以上続いているのだから、日本人のよき伝統の代表格といえるだろう。一緒に家庭を回った販売員は、子どものころのおじさんを彷彿させる話のうまい人だった。