小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

227 人間としての魅力 半藤一利の「山本五十六」

画像

 山本五十六は、「悲劇の海軍大将」といわれる。太平洋戦争の開戦に反対しながら、戦争へと突き進む時代の潮流に飲まれ、短期決戦を目指して「真珠湾奇襲戦」を成功させる。 しかし、ミッドウェイ海戦で米軍に敗れて、戦局が不利になっていく中で、ラバウル基地から前線巡視に乗った戦闘機が米軍機によって撃墜され、戦死した。

 山本の戦死はその昔、武田信玄の死を武田軍が長い間隠し続けたように、大本営によってしばらく伏せられていた。 当時の日本の中で、山本は英雄だった。だから、彼の戦死は衝撃だったのだ。半藤一利は、昭和史に鋭い分析を加えてきた。2冊に及ぶ「昭和史」は、軍人たちに厳しい評価を下している。

 山本もその軍人の1人だが、山本に限っては、半藤の筆は穏やかだ。新潟県出身同士として「親近感」を持って、山本像を描いていく。「山本五十六と長岡」という序章では長岡人の生き方に触れ、山本にも戊辰戦争の際の河合継之助や米百表を教育のために使った小林虎三郎、廃墟の長岡を振興した三島億二郎らと共通する忍耐強さや克己心の血が流れていることを指摘する。

 山本は、アメリカとの戦争には終始反対の立場を取っていた。しかし、対米強硬派が日本の舵取りに大きく関与していく中で、彼らの声は打ち消され、連合艦隊司令長官として、真珠湾攻撃を提案し、敢行する。日本には長期の戦争を続ける力はない、短期決戦で早期にアメリカとの和平に持ち込む-というのが山本の狙いだった。

 真珠湾攻撃は成功するが、ミッドウェイ海戦ではちぐはぐな攻撃によって勝てるはずの海戦で大きな打撃を受け、敗戦への道を進むきっかけをつくった。山本びいきの半藤でさえも「山本の最大の欠点は人間に対する偏愛」と記し、ミッドウェイ海戦では「日本海軍は敗れるべくして敗れたというほかはない」と書いている。

 山本は戦死した。生きて終戦を迎えたのなら、占領軍はどのような扱いをしたであろうか。客観的に見て、アメリカとの戦争に反対の立場をとっていたにしても、真珠湾攻撃という日米戦争の歴史に残る戦闘の責任者として、厳しい局面に立たざるを得なかっただろうと推測する。

「戦犯」という言葉が適切かどうかは分からないが、そうした立場に追いやられることもあり得たはずだ。 半藤によると、昨今は山本五十六を知らない人が多くなり、知っている若い人の中では凡将視、愚将視する声が高くなっているという。

 山本びいきの半藤は、こうした逆風が吹き始めた山本像を理解してもらう意味で、これまでの作品に手を加えたのだという。 阿川弘之の同名の小説など、山本五十六を取り上げた本は少なくない。それだけ山本は軍人のヒーローでありながら、人間的な魅力があったのだろう。(半藤一利山本五十六平凡社刊)