小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

222 「野性の呼び声」  リズム感あふれる名訳

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 ジャック・ロンドンのこの作品は、いまや古典の部類に入るのだろうか。訳者の深町眞理子のリズム感あふれる日本語は、過酷な運命を生きるバックを現代に甦らせた感さえ抱く。 野性とは。動物が持つ本来の生き方だ。それは餌を得るための闘争の日々だともいえる。

 アメリカ、カリフォルニアの判事の家でのんびり暮らしていたバックは、父はセントバーナード、母は牧用犬のスコッチシェパードの大型犬だ。 見習い庭師によって盗まれ、ゴールドラッシュに沸くアメリカとカナダ国境へと売られ、犬ぞり隊に配置される。過酷な犬ぞりの中で頭角を現し、いつしか野性を取り戻し、激しくつらい任務もこなす。

 この作品はいまから105年前の1903年に書かれた。荒々しい時代だ。人間も犬も生きることに精一杯の日々だったに違いない。深町の名訳からはこの時代の息づかいが伝わってくる。 本来、犬は野性の動物だ。しかし、人間の都合で多くの犬たちは野性を奪われ、牙をむくこともしない。

 私は自宅でゴールデンレトリーバーを飼っている。 かつて狩猟犬といわれたこの犬種は大人しい部類に入という。しかし、時折、遊ぶ際には、低い声でうなり、牙をむき出しにする。それでも噛んだりはしない。たぶんに野性を失っているのかもしれない。  

 それはさておき、深町は、この本のあとがきで、甘さや感傷を排した、硬質でドライな筆致でつらぬかれていることにいくぶんの意外の念をいだいたのではないだろうか、と書く。 たしかにこの作品はバックという犬の数奇な運命を情け容赦なくドライに描いている。そして、読む者は野性の強さを強烈に感じることだろう。

 名作はいつ読んでもいい。ロンドンの生きた時代から100年以上過ぎたにもかかわらず、私はこの作品の展開の豊かさに驚愕したものだ。