小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1450 悲劇の画家の肖像画 憂い漂うファブリティウス

画像森アーツセンターギャラリー(東京・六本木)で開催中の「フェルメールレンブラント:17世紀オランダ黄金時代の巨匠たち展」を見た。オランダのこの世紀の代表的画家といわれるフェルメール(1632~75)とレンブラント(1606~69)の作品(各1点)のほか、同時代のオランダの画家たちの作品計60点を集めたものだ。「水差しを持つ女」(フェルメール)、「ベローナ」(レンブラント)とは別に、私はカレル・ファブリティウス(1622~54)の2点の肖像画を前にやや長く足をとどめた。 ファブリティウスはフェルメールと同じ、オランダの地方都市、デルフトを拠点に活動した画家である。レンブラントの一番弟子といわれるが、これからという時に悲劇的最期を遂げる。1654年10月12日午前10時半ごろ、デルフト中心部に近いところにあった弾薬庫の火薬が爆発し、町の4分の1に当たる北東部分の建物が吹き飛ばされ数百人の死傷者を出す大事故が発生した。弾薬庫は旧修道院の建物で、イギリスとスペインからの攻撃に備え、弾薬と爆弾9万ポンド(4万823キロ)が備蓄されていた。この日はハーグから出張してきた国会の事務官らが弾薬2ポンド(907キロ)を見本として請け出すため中に入ったところ、爆発が起きたといわれるが、爆発の誘因は不明だ。 この事故でファブリティウスは工房の中で被災し、手当てを受けたが亡くなった。32歳だった。ファブリティウスは、アムステルダムレンブラントの工房で修業してからデルフトで風俗画家として独立、将来を嘱望される画家といわれた。彼の作品はこの爆発事故によりほとんど失われ、10点前後しか残っていないという。そのうちの2点が今回展示された。 2点のうち、「帽子と胴よろいをつけた男」はファブリティウスの自画像である。細面の生真面目そうな青年がこちらを見ている。師匠のレンブラント肖像画は背景が暗色で、画面にスポットライトを当てたように光を差し込ませた明暗のコントラストが特徴だが、ファブリティウスの方は全体に均一的光を当てている。この絵には右下に自分の署名と1954という数字が入っており、描かれたのは火薬庫の爆発によって、彼がこの世を去った年と分かる。この絵を描いているとき、間もなく自分の命が尽きるとは思っていなかっただろう。だが、私はこの絵からある種の諦観のような、憂いが漂っているのを感じるのだ。 フェルメールには「デルフトの眺望」という風景画がある。1660~61年ごろの制作と見られており、爆発事故によって大きな打撃を受けたデルフトの街への思いを込めた作品ではないかという見方もある。フェルメールはファブリティウスとも面識があり、その画法に影響を受けたといわれるから、デルフトの眺望は先輩画家への鎮魂の意味もあったのかもしれない。 1385 大災害から復興したオランダの古都  フェルメール・「デルフトの眺望」  写真 1、ファブリティウスの、「帽子と胴よろいをつけた男」 2、フェルメールの「水差しを持つ女」 3、フェルメールの「デルフトの眺望」(これは展示されていません) 画像 画像