小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1436 モラルハザードとバス事故 恐怖のニュートラル走行

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長野県軽井沢町で発生したスキーツアーバス事故で、バスのギアがニュートラル状態にあったというニュース流れている。ニュートラルとは、ギアがかみ合わずに動力が伝達されない状態のことで、下り坂でこの状態になるとエンジンブレーキは当然かからないから、フットブレーキに頼ることになる。なぜ、こうした状態になったのか、調査の結果が待たれる。かなり以前、この状態(ニュートラル)のバスに乗り合わせ、恐怖の体験をしたことを思い出した。 南太平洋のソロモン諸島の首都はホニアラで、ガダルカナル島(同名の州)にある。太平洋戦争ではこの島の飛行場争奪をめぐって日米の激戦があり、ジャングルに追い込まれた日本軍の兵士多数が餓死(栄養失調・マラリア・下痢)するなど、2万2千人以上が戦死戦病死(米軍は6842人が戦死)し、この戦いを岐路として戦機は連合国側へ傾いていく。半藤一利は『遠い島 ガダルカナル』(PHP)でこの敗因について「エリート参謀たちの根拠なき自己過信、傲慢な無知、底知れぬ無責任が国を滅ぼす」と書いている。 1980年10月、財団法人南太平洋戦没者慰霊協会(当時)が激戦地アウステン山中腹に「ソロモン平和慰霊公苑」をつくり、戦没者の慰霊碑を建立した。この取材で島を訪問した際、遺族らとともにホニアラ市内から現地往復のバスに乗った。慰霊祭を終えて山を下る際、現地のバス運転手はギアを途中からニュートラルのままにしてバスを走らせた。 急こう配の下り坂であり、次第にスピードが増していく。当初はフットブレーキが効き、何とか暴走を押えていた。だが、ゴムの焼けるにおいが強くなってきてブレーキは効かなくなってきた。慌てた運転手はエンジンブレーキを使おうと、ローギアに入れようとしたのだが、何度試みてもギアはニュートラルのままでローに入らない。そのうち多くの乗客(全員が日本人)が暴走に気付き、騒ぎ出した。目を外にやると右手は千尋の谷になっており、谷底にはジャングルが広がっている。 バスは日本製で、かなり古くシートベルトもない。バスのスピードは80キロを超え、このままでは谷底へ転落の危険性が強くなってきた。その時、運転手の慌てた様子を見ていた前の座席の一人が「レフトサイド!」と叫ぶのが聞こえた。直後、バスは道路左側の切り立った崖にぶつかり、その衝撃で右側に横転して止まった。危うい所だった。運転手は叫び声に従って左にハンドルを切ったのである。私も含めこのバスに乗っていた30人が重軽傷を負ったが、前席の人の機転がなければ谷底に転落し、大惨事になっただろう。 あとで聞いたことだが、運転手がギアをニュートラスにして走らせた理由は、燃料を節約するためということだった。しかし、下り坂でニュートラルにして走行することは燃費向上にはつながらず、逆に事故を引き起こす危険な行為なのだという。それを現地の運転手は知らなかったようだ。 では、軽井沢のバスがなぜニュートラルになっていたのだろう。燃費を稼ぐためにやったとは考えにくい。下り坂でスピードが出て来たため、慌てて6段変速のうちの高いギア比からローの方に入れ替え、エンジンギアを使おうとしたが、うまくいかずにニュートラルのままにフットブレーキで走行、ブレーキが効かなくなって大惨事になってしまったということなのだろうか。これはあくまで仮説である。 それにしても、このバス事故のニュースを見ていて感じるのは、中小バス会社の乱立の結果、競争が激化し、安全対策がないがしろにされているのではないかということだ。その遠因は規制緩和や民営化を中心にした小泉改革竹中平蔵氏をブレーンとした構造改革)といっていい。これが日本社会のモラルハザード(倫理感の欠如)へとつながる。 このところ、その例が相次いで発生している。現在進行中の廃棄カツ不正転売事件をはじめ、五輪エンブレムのデザイン盗用疑惑、東芝粉飾決算東洋ゴム工業の免震ゴム偽装、旭化成建材の杭打ちデータ流用、化血研の血液製剤不正製造、教科書会社と教員との金銭授受問題、甘利経済再生相の金銭授受疑惑……と数え上げたらきりがない。バス事故もこの流れの中にあるといっていいだろう。犠牲になった若者が哀れでならない。