小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1408 ヨンキントとユトリロと 感受性強く知的な芸術家たち

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詩人の大岡信は、『瑞穂の国うた』(新潮文庫)というエッセーの中で、秋のしみじみとした感じを象徴するのは酒であり、騒がしいビールの季節が終わり、10月は静かな日本酒の季節だという趣旨のことを書いている。酒がおいしい季節がやってきて、私の部屋のカレンダーは酒と縁が深いオランダの風景画家ヨハン・バルトルト・ヨンキント(1819年~1891年)の『オーフェルスヒーの月光の下で』(オーフェルスヒーはロッテルダムの空港近くにある地区)という1871年作の絵になった。ヨンキントは日本ではあまり知られていないが、その緻密な絵は見直されてもいいのかもしれない。 ヨンキントは、オランダ・ロッテルダム近郊のラトロプ村で生まれ、早くからフランスで活動しバルビゾン派の画家たちと交流を持った。パリやルアーブル(北西部の港湾都市)の海岸風景を好んで描き、その明るく清新な色彩と自由なタッチでフランスのウジェーヌ・ブーダン(1824-1898)とともに印象主義の先駆者の一人に数えられる。油絵のほか水彩画も多数制作、代表作として『ロズモン城の廃墟』(1861年)『トゥルネル河岸から見たノートル・ダム大聖堂(1852年)などがある(百科事典・マイペディア)。印象派の代表的画家、フランスのクロード・モネ(1840~1926)はヨンキントの影響を受けたといわれる。 ヨンキントの絵はたしかに、明るい色彩の作品が多い。その一方で、『オーフェルスヒーの月光の下で』のように、黒や暗褐色系で使った陰影のイメージを強調する作品も残し、夜の画家という呼ばれ方もしている。ヨンキントは生涯、アルコール依存症に苦しんだという。フランスの画家、モーリス・ユトリロ(1883~1955)も、ヨンキントと同様、アルコール依存との闘いながら白が印象的な街並みなどの美しい風景画を描いた。 芸術家に酒は付きもののようで、『武器よさらば』、『老人と海』を書いたアメリカの作家、アネースト・ヘミングウェイ(1899~1961)、『野生の呼び声』、『白い牙』のジャック・ロンドン(1876~1916)は、アルコール中毒になった作家としても知られる。ヘミングウェイは自殺し、ロンドンも自殺(あるいはモルヒネの過剰摂取による心臓発作)説があり、アルコールが寿命を縮めたといえる。 イギリスの作家・評論家のコリン・ウィルソンは『わが酒の讃歌』(徳間書店)でアルコールの人間への作用について書いている。ウィルソンはまず「社会はアルコールが理性的に用いられれば、その使用は音楽や詩と同じように不道徳ではないと認めている。その違いは、音楽や詩が想像力を刺激するはたらきがあるのに対し、アルコールのみが想像力を拡大させ、花開かせる状態をつくり出すことにある」と、効用面に触れている。 一方、心理学者アブラハム・マスロー(アメリカ)の研究から「アルコール中毒になる人々は平均的な人よりも感受性が強く知性的である」という点に注目し、「障害物にぶつかると、想像力が悪い方向に働いて、彼らはあまりにも簡単に敗北してしまう。彼らは敗北感にひたって飲むから、その酒は憂鬱さを増すばかりなのだ」と、アルコールが及ぼす負の代償は、人間の心の問題に左右されることを指摘した。ヨンキント、ユトリロヘミングウェイ、ロンドンらはこの分類に入る人々で、後世に残る作品を発表したが、アルコールによって精神が蝕まれてしまったのだ。 『万葉集』の歌人の中で一番の酒好きは、大伴旅人だったそうだ。彼は酒を讃(ほ)むるの歌13首(『万葉集巻3、338=350』)を詠んだ。中でも「験(しるし)なき 物を思はずは 一杯(ひとつき)の 濁れる酒を 飲むべくあるらし」(『万葉集』巻3、330、何をくよくよ気づかうな、それよりも一杯の濁り酒でも飲んだ方がまし=現代訳・和歌森太郎)という歌は有名だ。さらに「価無き 宝といふとも 一杯の 濁れる酒に あに益さめやも」(345、評価を言いがたい、それほど超越的に絶対の価値あるものよりも、一杯のにごり酒は貴い=同)という、酒の絶対的価値を認める歌を作っている。 66歳まで生きた旅人がアル中だったかどうか。ただ、和歌森太郎は「彼の飲み方はだいぶニヒリスティックであり、酒のうまみを味わうよりも、酒が小さい、細い神経を大きく太くしてくれることで『酒を讃(ほ)める』類である」(酒が語る日本史、河出書房新社)と分析しているから、ヨンキストたちと共通性があるといえるだろう。 酒と人間の付き合いは紀元前まで遡るとみられている。そして、酒による悲喜劇が繰り替えされている。大昔、初めて酒を飲んだ人間は、酒がこれほど人類に影響を及ぼす飲料になるとは考えもしなかっただろう。
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写真 1、満開の黄花コスモス(記事とは関係ありません) 2、ヨンキントの『オーフェルスヒーの月光の下で』(カレンダーより) 1208 いまも色あせない芸術作品 モネとマーク・トゥインに触れる 868 「凛」として生きる日本へ 平松礼二の「祈り」を見る