小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1341 風が吹き抜けるように 3月のはじめに

画像3月になった。この2カ月は「冬」を象徴する暗いニュースが続いた。1月から2月にかけては主にイスラム過激派「イスラム国」に処刑された後藤健二さんと湯川遥菜さんのこと、そして、2月から3月の現在は、川崎市の中学1年生、上村僚太君殺害事件である。これらのニュースを見ていて、命の軽さに愕然としてしまう。

そんな昨今、一人の記者のことを思い出した。共同通信社で非行少年の問題をライフワークとして取材、志半ばで病に倒れた西山明記者だ。西山記者ががんで亡くなって10年になる。彼が生きていたら川崎の事件にどう向き合うのだろうと思う。

西山記者は、福島支局、仙台支社時代から福島浜通地方への原発立地について取材を進め、原発の危険性を訴え続けた。中国残留孤児といわれた人たちが肉親を捜す調査のため中国東北部から訪日した際は取材応援に東京に出張し、肉親と巡り会えた孤児の記者会見を聞いて、涙を流しながら記事を書いた。

西山記者は社会部に配属されたあと中国残留孤児問題で知り合った日本人学級の教師と交流を続けているうちに教育の重要さ、大事さを痛感し、教育問題をライフワークにしたいと考えた。その対象になったのが非行少年たちであり、彼は非行少年と家族たちの姿を中心にルポルタージュを書き続けた。

そして「アダルトチルドレン」(AC)いう存在に注目した。いまでこそこの言葉は一般的になったが、彼がルポを書いた1990年代初めはまだあまり言われていない時代である。ACは親からの虐待、アルコール依存症の親の元で育った子どもなどが成長しても身体的、精神的、心理的虐待を受け続けた体験の結果、心理的外傷が残り社会生活になじむことができないケースを総称するが、彼は長期にわたってそのような男女を追い、連載記事にした。その結果、「アダルトチルドレン」という言葉が日本に普及したのである。

粘り強い取材が彼の信条で、取材相手の若い人たちから信頼され、手紙がきて電話で呼び出された。教育や家族問題を中心にして15冊以上の本を書いた。見るからに働き過ぎのように思えた。そんな心配が当たってしまった。がんが彼の体をむしばんだのだ。

国立がんセンターに入院して手術した。難しい部位のがんだった。手術は成功し、彼は仕事に復帰した。再び、教育問題のライフワークに取り組んだ。だが、復帰して数ヵ月して再入院し、間もなく帰らぬ人になった。50台半ばだった。

後日、西山記者のしのぶ会で、夫人は「夫は仕事をがむしゃらやり抜いた人生でした。生き急いで、風が吹き抜けるように私たちのもとから去っていきました」と語った。まさに「風の生涯」だといっていい。

川崎の事件の被害者、上村僚太君は、みんなから愛される人柄のいい少年だったという。そんな僚太君の命を奪ったのは18歳の少年だった。彼は心にどんな闇を抱えていたのだろうか。この事件の陰惨さは、現代社会の裏返しなのだろうか。もし、西山記者が現役でいたなら、当然この事件は取材対象になるはずだ。そして時には涙を流しながら取材をしていたのではないかと思えてならない。

西山記者のテーマは暗くて重いものだった。だが、彼は日本の現状に悲観していたわけではない。常に前を向いて、ますます価値観が多様になっている現代の私たちの生き方について、考える材料を提供してくれていたに違いない。