小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1342 透明感あふれる朝 開花待つ花々たち

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 文芸評論家の杉本秀太郎は「春の花は、どれも押しなべて人を過去のほうへ、回想へ、幼少時へと引き戻すのは何故だろう」(講談社学術文庫・花ごよみ)と書いている。春は花の季節でもあるが、杉本が書くように、この季節の花は桜やつくしをはじめとして人を回想へと引き戻す、不思議な作用を持つようだ。そうした花々の季節が近付いている。

「けさはさわやかですね」。調整池の散歩道で、犬の散歩をしている人から言われた。風がやや吹いていて肌寒いのだが、いつもの朝より透明感がある。調整池の遠方の住宅もよく見える。しばらくすると、東の空が茜色に輝き出した。言われる通り、さわやかな3月の朝だ。調整池の水面も陽光に反射して輝いている。「光の春」の到来なのである。

 何気なく書いている「光の春」だが、この言葉の由来については2年前のブログに書いている。それを一部分だけ紹介する。 「この言葉を定着させたのは、かつての気象キャスターで、気象エッセイストの倉嶋厚さんだそうだ。

 倉嶋さんは気象調査のため、1963年(昭和39)ソ連(現在のロシア)に出張、ロシア語に光の春を意味する「ベスナー・スペータ」という言葉があることを知り、帰国後、日本に紹介したのだという。冬至が過ぎてから日脚は次第に伸び、立春を迎えて陽光の輝きが増してくる。光の春とは言い得て妙だ」(2913、2・11)」

 以前、札幌や仙台、秋田という「北の街」に住んだことがある。そうした北の街では春の訪れは待ち遠しく、春が来たことに心が弾んだ経験を忘れることができない。暗い冬からバトンタッチされた春は、光に包まれた季節なのである。

 山なみ遠に 春はきて こぶしの花は 天 上 に 雲はかなたに 帰れども 帰る辺知らに 越ゆる路 (三好達治『花筐』所収「山なみとほに」

 街路樹のこぶしの花の芽も大きくなり、開花も近い。

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