小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1329 外交史料館で「マッサン展」 スコットランドとの交流史

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「マッサン展」という風変わりな名前の特別展が、外務省外交史料館で開催中だ。東京・麻布台の飯倉公館に隣接した外交史料館別館をのぞくと、明治以降からの外交資料の常設展示のほかに、「マッサン展 竹鶴政孝と知られざる日本・スコットランド交流史」と題して、日本で初めてウイスキーをつくった竹鶴政孝関係の資料が展示されていた。 10月からNHKで竹鶴をモデルにした連続テレビドラマが放映中だが、史料館の存在はあまり知られていないようで、入館者は少なかった。 竹鶴は、大正時代に在籍していた大阪の会社から派遣され、スコットランドに留学してスコッチ・ウイスキーの製法を学び、帰国後寿屋(現在のサントリー)の鳥井信治郎の依頼によって山崎工場でウイスキー製造に着手し、昭和4年(1929)国産初のウイスキーが発売された。妻は、スコットランドで知り合ったリタさんである。これらの経緯は、竹鶴の生涯を書いた本の紹介ですでに記している。 外交史料館の「マッサン展」は、ドラマの放送開始より早い9月24日にスタート、来年5月8日まで続く予定だ。特別展示には、幕末期の日本とスコットランド関係やスコットランドとの皇室外交などの資料と竹鶴関係の資料が展示されている。竹鶴が大正7年にスコットランドに留学した際の旅券やその発給記録、グラスゴウ大学夏期講座の受講章、竹鶴の研修報告ノート、リタさんとの結婚証明書、リタさんのパスポートなどに続き、山崎工場関係資料、リタさんの里帰り、北海道(余市)工場の調査に関する資料などが並んでいる。 現在、国際結婚は珍しくない時代だが、竹鶴とリタさんが結婚した当時は障害が多く、双方の家族は当初結婚に反対したという。リタさんがスコットランドに里帰りしたのは大正14年(1925)と、昭和6年(1931)の2回だけであり、2回目がリタさんにとっては最後の里帰りとなった。この時は寿屋の鳥井信治郎から長男、吉太郎に本場のウイスキーづくりを見せてほしいという依頼で実現し、竹鶴夫妻は養女として引き取った生後間もない房子(のちにリマと改名)も連れての旅だったという。 展示の内容は、日本とスコットランドの関係を知るうえで、興味深いものが少なくない。日本初のビール会社(のちのキリンビール)の設立にもかかわったスコットランド人のトマス・グラバー(グラバー邸は現在長崎の観光名所である)に対する、明治41年(1908)の伊藤博文井上馨連名の勲章授与申請書(勳二等旭日重光章受章)には、グラバーの幕末期以降の活動が8枚にわたって詳細に記されている。 スコットランドはイギリスの一地方と思われていたが、イギリスからの独立を問う住民投票があって一躍注目を集めたばかりである。タイミングのいい特別展示であり、スコットランドやドラマに興味がある人には一見の価値があるはずだ。
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国産ウイスキーをつくった竹鶴政孝の生涯 再読『ヒゲのウヰスキー誕生す』