1280 hana物語(21) 別れの日
2013年9月15日は、台風18号が接近してきた影響で朝から強い雨が降っていた。だが、昼近くから晴れ間がのぞいた。この日、hanaの49日には少し早いが、床の間に飾っておいた遺骨を庭に埋めてやることにした。その場所は、前から決めていたように、金木犀と夏椿の間にした。居間からよく見える場所であり、さびしがり屋のhanaには一番落ち着くのではないかと思ったからである。
昼食後、家族全員(私と妻、長女の一家3人と次女の計6人のほか、hanaの妹分のミニチュワダックスフントのノンちゃん)が床の間のある和室に集まり、骨壺からhanaの遺骨を箸で取り出し、hanaの似顔絵と、みんなの惜別の言葉(「ありがとう」「大好きだよ」「またあとで」「♡♡♡)」を刺繍した布製の袋に入れた。袋に入れる時は、さびしさのあまり、誰かが泣いてしまうのかと思った。だが、大人の沈んだ気持ちを救ってくれたのは2歳半の小さな孫娘だった。
大人に交じって箸を持ち、一生懸命に骨壺から骨を袋に入れようとする。しかし、なかなかそれがはかどらず、両親からは「少しどいていなさい」といわれる。それでも箸を持ち続け、勢い余ってhanaの骨が自分の唇に触ってしまった。その骨には黒い糞が付着しており、孫娘は「hanaちゃんのうんちを食べてしまった」と言って、大人を大笑いさせたのだ。
hanaの遺骨を埋める金木犀と夏椿の間は、事前に穴を掘っていた。樹木の根が張っていて大変かと思っていたが、意外にそれはなく容易にhanaの眠る場所を確保することができた。hanaとの付き合いの時間が一番長く、hanaにとっては文字通り母親といっていい妻が遺骨の入った袋を穴の中に入れ、続いてみんなで交代しながらスコップを使って土をかぶせた。もちろん孫娘もそれに加わった。短い時間で作業は終わり、みんなで用意した線香を穴の上にたむけ、hanaとの別れのあいさつをした。
私たちがhanaの埋葬をしている最中、庭には赤とんぼが飛んでいた。残暑とはいえ、もう秋なのだ。赤とんぼについては「神様の使いなので、絶対に取ってはダメ」といういい伝いがある地域があるそうだ。hanaの魂はこの赤とんぼに乗って空へ飛び、さらにシリウスへの旅を始めたのかもしれない。
夕方、hanaの散歩コースだった調整池の遊歩道をノンちゃんの散歩を兼ねて歩いた。風がなく、歩いていても肌がむしばむほどだ。こんな時、hanaならどうしただろうかとふと思った。夕方の餌をもらおうと、一刻も早く家に帰るために早足になるに違いないだろう。家族の一人は、最近「hanaに会いたい」とよく口にする。現実にはあり得ないことなのだが、それはみんなが思っていることだ。
それだけ、わが家では、hanaの存在は特別だったのだ。hana埋葬の数日後には、中秋の名月が控えていた。私は、hanaが眠る庭にも月の青白い光が射し込み、何かを語りかけてくれるのかもしれないと、その日を待ち望んだ。