小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1269 hana物語(10) 一度だけの失敗

画像
この文章を書いている私の部屋では、CDから静かな曲が流れている。ヨーゼフ・ハイドン交響曲44番≪悲しみ≫(哀悼)だ。ハイドン自身が気に入っていた曲で、葬式には演奏してほしいと希望し、1809年にベルリンで行われた追悼際では第3楽章・アダージョが演奏されたという。私もこの曲が好きでよくCDを掛けている。そして私の足元にいつもhanaが寝転んでいた。 hanaはゴールデンレトリーバーという大型犬の雌である。この犬種の体重は、雄では35キロ―40キロ、雌でも25キロ以上はある。エサもよく食べるので、運動量も多く、散歩は1日2回、1回1時間程度は必要といわれる。わが家では、家の中でhanaを飼ったことから、狭い家はますます狭く感じられるようになった。 だが、大小の排泄は必ず散歩のときにやることを教えたため、1日2回の散歩のときが排泄の時間でもあった。hanaは息を引き取るまでその習慣を崩さなかった。ふらつく体で懸命に歩こうとする姿はかわいそうでならなかった。溌剌として元気なころの散歩風景とは異なる老いたhanaの姿は痛ましかった。 排泄は外でやる習慣とはいえ、体調が悪いときにはさすがのhanaも「失敗」をしたことがある。日記を読むと、2007年1月にはこんな失敗談が書いてある。妻と次女が海外旅行に出掛けた時のことだ。私と長女は仕事に出て、家にはhanaだけが残った。ふだんはだれかが家にいて、hanaが単独で一日中留守番をすることはそれまではなかった。 甘いといえば甘いのだが、hanaは長時間の留守番には慣れていなかったのだ。それでも初めの3日間は何事もなく過ぎた。夜、私と長女が家に帰ると、喜んで飛びつき、尾を振りながら散歩をする。私も長女もhanaは留守番に慣れたと思い込んだ。 しかし、4日目の夜、長女が私より先に帰ると居間の方から強い異臭がする。長女がhanaにただいまの頬ずりをしたあと室内を調べてみると、居間の窓際に巨大な排泄物が残され、その近くには少量だが、hanaが吐いたと思われる胃の内容物があったのだ。hanaが家の中で排泄したのはこれが初めてで最後だった。これ以後、体調不良で食べたものを吐いてしまったことは何度もあるが、粗相をしたことはない。 粗相をする前の夜のことだが、hanaは居間から台所に入り込んで、そこにあった生の白菜を食べるという「いたずら」をした。hanaからすればいたずらではなく、旺盛な食欲を満たそうと本能の赴くままかじり始めたのだろうか。以前も白菜を1個全部食べてしまったことがあり、味を覚えていたのだろう。 しかし今回は半分くらい食べたところで2階から降りてきた私が見つけ、取り上げた。hanaの粗相の原因は、前夜に白菜を食べてしまったこと、4日目に入った留守番のストレスで腹の調子がおかしくなるという要素が重なったのかもしれない。こんなhanaを私も長女も怒らず、長女は「あと3日でママたちは帰ってくるよ。それまで我慢してね」と言い聞かせていた。 それが通じたのかどうか、それから3日間、hanaは落ち着いて留守番ができるようになった。この騒ぎの後も、留守番をして問題を起こすことはあまりなくなった。肝臓がんが見つかる直前の6月下旬、岩手土産の南部せんべいを食べたのは、久しぶりのいたずらだった。 hanaが病と闘った1カ月間、散歩の距離は散歩とはいえないほど短くなった。家の周囲200メートル程度から最後にはわずか十数メートルがやっとになった。hanaに対し私たちは首輪だけにしてリードは付けなかった。自由に行きたいところに行けばいいと思ったからだ。そんな最後の日々のhanaの姿が、私の脳裏から消えない。