小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1270 hana物語(12) 私は末っ子

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 hanaは小さいころからわが家にしばしば遊びにやってきていたので、3歳過ぎてからわが家に移り住んでもすぐに慣れてしまった。当時、わが家は私と妻、2人の娘の4人暮らしで、hanaは3番目の娘、すなわち末っ子のような存在になった。

 外で飼うことも考えたが、それまでの3年余、家の中で暮らしていたためか外に置いてみると「キュン、キュン」と悲しそうな声で泣く。仕方なく私も家の中で飼うことに同意した。以来、hanaは家の中で存在感を示し続けた。

 hanaは、ふだんは1階で過ごし、時折2階に行き、また1階に降りる。私が休みで家にいると、どこかに連れて行ってもらえると思うのか、後を追い掛け続ける。病気で弱るまで夜は家族とともに2階で寝た。2階の和室が私たち夫婦の寝室になっており、この部屋の片隅にhana用の丸い布団も置いた。

 2階に上がると、hanaはそれぞれの娘たちの部屋に行き、体をなでてもらってから、自分の布団の上に横になる。娘たちが「今夜はこの部屋で寝ていいよ」と誘っても、すぐに部屋を出て和室に入ってくる。 自分の布団に上がったあと、時には私の布団の足元にいたり、私と妻の布団の上に乗ったりと、私たちが寝ている間に何回か移動を繰り返し、朝方は妻の顔を見るように、すぐ隣に来て横になる。

 布団に毛が付くのが気になったが、何度注意をしてもやめないので、いつしか朝方は妻のわきに寝ることが許され、習慣になった。 1階の居間にあるソファーに寝そべるのも大好きだった。犬のしつけの本によると、厳格に注意をしてしつけをすれば、そんなことはやらないことは分かっていたが、家の中で飼う以上は、ある程度のわがままは仕方がないと、それを許した。

 そして、いつしか私はhanaを足で抱え込むようにしてソファーで昼寝をすることが珍しくなくなった。 前にも書いたが、hanaは車に乗るのが大好きだった。以前所有していた車高の低い車の時には、後部座席に乗って窓を開けると、上半身を乗り出すようにして外の景色を見ていた。

 車高が低いため乗り込むのも簡単で、hanaはこの車がお気に入りだった。この車が古くなって、新しい車と買い換えると、車高が高くなり、乗り降りも大変になった。後部座席には犬用のシートカバーを付けた。 この車に代わると、それまでやっていた窓から上半身を乗り出す「暴走族」のような格好はしなくなった。

 hanaにとって新しい車は好みではなかったかもしれないが、車に乗ること自体は餌を食べることの次ぐらいに好きだった。 病気になってからも、hanaの車好きは相変わらずだったが、後部座席に乗り込むのは一苦労で、2回に1回は私たちが抱きかかえて乗せてやるようになった。降りるときもそうで、自分からできないと思ったのか、シートに座り込んでしまい、私たちの手助けを待つようになった。

「元気になったら、どこか遠くまでドライブに連れていくよ」と、励ましていた私たちは、7月初めに大きな病院まで1時間近くを掛けて連れて行ったあとは、hanaと一緒の遠出はできなかった。 先日、hanaの写真と一緒に1時間弱離れた上の娘の家に行った。写真は助手席に置いた。生きている間は、助手席に乗ることはなかったhanaは、運転する私の横で初めての経験を楽しんでいたのかもしれない。

 動物行動学という領域を開拓し、ノーベル生理学医学賞を受賞したオーストリアの心理学者、コンラート・ローレンツの「人イヌにあう」(ハヤカワ文庫)のことは前にも書いている。この本の中に「イヌを選ぶこと」というエッセーがある。

 結びには「雄イヌよりも雌イヌの方が忠実であり、その心の仕組みはより美しく、複雑であり、その知力は優れている。真の友情を分かちあえる能力において人間にもっとも近いのは雌犬である」と犬を飼う際は雌イヌを選ぶことを勧めている。 私の家族の場合は、雄とか雌とかの選択肢がないままに、hanaを飼ったのだが、hanaがいなくなったいま、ローレンツ説の正しさを実感し、惜別の思いを深くした。 13回目へ