小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1217 南米の旅―ハチドリ紀行(6) あれがナスカの地上絵?

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かなり以前のことになるが、あまり天気が良くない日に仙台から函館までセスナ機に乗ったことがある。途中、岩手県花巻空港で給油しての長時間のフライトだった。ペルー南部の世界遺産「ナスカの地上絵」を見るため、12人乗りのセスナに乗った。巨大な絵を見せるのが仕事であるパイロットは軽飛行機を右に左に揺らし、降下と上昇を続ける。以前のセスナ搭乗を思い出しながら揺れに身を任せ、次々に現れる地上絵に目を凝らした。 1939年、米国の考古学者ポール・コソックがナスカ地方の乾燥地帯の平原に描かれた線(深さ5センチ未満)が生物や模様を表わしていることを発見、コソックの助手のドイツの数学者、マリア・ライヒェによって解明作業が進められた。1-6世紀に描かれたとみられる地上絵は確認されただけで784あるが、地上絵が何を意味しているかは空中都市マチュピチュと同様、「謎」が多い。ガイドブック(るるぶ・ペルー編)には、「水源と水脈説」「天文学的な暦説」「雨乞い説」「宇宙への滑走路説」の4説のほか、気球に乗って楽しむためという気球用説、中央集権国家を確立するための労役を課す公共事業説も紹介されている。 セスナによる遊覧飛行の拠点はナスカとピスコの2つの空港で、私たちは後者を使った。ペルーのワイン産地・ピスコの小さな空港からナスカまで往復1時間をかけ、地上絵上空は30分だけの飛行だった。全員が体重計に乗り、体重によってセスナへの搭乗順が振り分けられた。女性にはいやなことだろうが、12人乗りセスナの安全のためには重量オーバーは禁物であり、仕方がない検査のようだ。 遊覧飛行で見るのは「クジラ」「宇宙人」「サル」「犬」「コンドル」「クモ」「ハチドリ」(2つ)「フラミンゴ」「オウム」「手」「星」「木」が定番らしい。上空からの撮影は時間も限られ、しかも揺れが激しいためそう簡単ではないが、「ハチドリ」だけはうまく撮影できた。ほかにもいくつかの絵を確認できたが、なぜこのような絵がここにあるのかという疑問が頭を占め続けた。 日本人7人と中国人が4人搭乗した私たちのセスナは、前方左側に操縦士、右側に副操縦士が座り、地上絵の説明役は副操縦士の担当で英語と片言の日本語だった。線が薄くなっていて分かりにくいものもあり、「衝撃度」あるいは「感激度」という点ではマチュピチュの方が数段勝っているように感じた。同行者の中には、酔い止めの薬を飲んでいても気持ちが悪くなり、絵を見る余裕がないという人も少なくなかった。 ペルーの首都リマからピスコまでのバスの車窓からは緑がほとんどない、砂漠のような斜面地帯が続いているのが見える。そこには木でつくった掘立小屋がかなり建っている。ペルーで問題になっている不法占拠の街並みだ。クスコの街の山の斜面地帯でもおびただしい不法占拠の家が建っていた。 ガイドによると、ペルーでは5年が過ぎるとその土地が自分の所有になるという制度があり、不法占拠は後を絶たない。この制度を推進したのは日系のフジモリ大統領だったという。その不法占拠がナスカの地上絵周辺でも問題になったことがある。立ち入り禁止区域になっている地上絵近くに貧しい人たちが小屋を建て、豚を飼育していることが見つかったというニュースを読んだことがある。観光客激増のためピスコの空港は現在工事中で、そう遠くない時期に、大きな空港になる予定だという。 しかし不法占拠が続発する恐れや自動車の侵入問題なども抱えており、ナスカの地上絵保護は難しい局面に立たされているようだ。マリア・ライヒェは、37歳の時からコソックの助手として地上絵の解明に生涯をささげ、1998年に95歳で亡くなった。遺体はナスカ近郊に埋葬されたというから、地上絵はいまもライヒェに見守られているのかもしれない。 砂と岩謎の絵模様夢誘う 写真 1、ナスカの地上絵のハチドリ 2、最新鋭の12人乗りセスナ 3、ナスカの地上絵のコンドル 4、ナスカの地上絵のオウム 5、上空から見たピスコの街並み 6、 ピスコの3輪タクシー
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