小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1131 ベトナム・カンボジアの旅(5) ベトナムのバイク戦争

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ベトナムの首都・ハノイに入り、そしてカンボジアを訪れ、さらに再びベトナムに戻り南のホーチミン(旧サイゴン)に行くと道路はものすごいバイクに占拠されていて、遠い時代の中国を思い出した。それは初めて中国を訪れた29年前の夏まで遡る。当時の中国は経済が今日のように発展しておらず、地の底から湧いてきたような多数の自転車が道路にあふれていた。いつの時代でも、国情は違っても庶民は生きるために文明の利器を使う。それがかつての中国の自転車であり、現在のベトナムなどのバイクなのだろうか。 私が中国に初めて行ったのは1984年6月のことだった。北京市内でも車の数は少なく、自転車が交通の主役だった。朝夕の通勤時、道路は自転車に乗った人たちによって埋め尽くされ、それは果てることなくえんえんと続いていた。北京でも上海でも、大連でもハルビンでもその光景が繰り返され、いつしか慣れっこになってしまった。その後、何回か中国を訪問したが、経済の発展とともに自転車の姿は少なくなっていた。 ベトナムは、長い間続いたベトナム戦争(ガイドはアメリカ戦争と言っていた)によって疲弊したが、計画経済から市場経済への転換を図った1986年からのドイモイ政策によって経済が成長、それと歩調を合わせるように、道路にはバイクの姿が増えていったのだという。 各種統計によると、現在のベトナム全体のバイク保有台数は約3000万台で、中国、インド、インドネシアに次いで世界4位だが、人口に占める割合(普及率)ではマレーシアとともにベトナムが3人に1人となっていて、世界一だそうだ。ちなみにベトナム最大の都市・ホーチミンは人口が約900万人でバイクは約400万台だから、2・25人に1人がバイクを持っていることになる。 朝、ホテル周辺を散歩していると、バイク通勤の人たちで付近の道路は混雑していたが、あまり渋滞はない。多くの人がマスクをかけている。近くにはバイクの駐輪場があり、これまで見たことがないほどのバイクが止められていた。愛知県小牧市トヨタ自動車関係の会社で半年間通訳の仕事をした経験を持つフーンさんというガイドは、郊外に家があり、約30分かけてバイクで事務所まで通勤しており、奥さんも同様にバイク通勤だという。フーンさん夫妻のように働く人がほとんどバイク通勤だとすれば、バイクの洪水になるのも当然なのかもしれない。 私たちが乗った車はそんなバイクをかき分けるように進むのだが、まるで神業だ。この道路事情で運転しろと言われたら、とても私にはできないと思う。「事故は日常茶飯事ですよ」というフーンさんの説明を聞いて、よけいその思いを強くした。夕方、車の横を20、30人近い華やかな女性たちのバイクの列が続いていた。携帯電話の宣伝のためのバイク隊のようだ。女性たちは手を振りながら、器用にバイクを運転している。人間には環境順応力が備わっていることを痛感する。 ベトナムのバイク普及をめぐっては「日中バイク戦争」があったという。安いバイクを売ろうとした中国企業が一時有利になるが、品質のよさに加え価格も一定程度まで下げたホンダなどの日本企業が薄利多売の姿勢で巻き返し、いまやベトナムでは日本製のバイクが中心で、バイクのことを「ホンダ」という人も少なくないそうだ。これこそが物作りの原点ではないかと思う。 写真 ホーチミン市内の道路を占拠するバイク 1、ホーチミン市内で見かけたバイクの駐輪場 2、携帯電話の宣伝隊 3、空気の悪いためかマスクをかけた人も多い 4、ホーチミン市の中央郵便局内。ホーチミンの写真が展示されている 5、ハノイの街角で。果樹を売る女性
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