小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1091 童心に戻った気球体験だが… 残念なルクソールの事故

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エジプトの観光地、ルクソールで21人を載せた熱気球が墜落し、日本人4人を含む19人が死亡した。墜落前に気球から飛び出し(逃げたのか、爆発で飛ばされたのかは現段階では不明)、重傷を負ったパイロットの操縦ミス説が強くなっている。イスラム過激派によるアルジェリアの人質事件、グアムの無差別殺傷事件と海外で日本人が事件に巻き込まれるのが目立つと思ったら、今度は事故である。昨年(2012年)9月、トルコで気球体験をした身には、ルクソールの事故は他人事ではないと感じるのだ。 私が気球を体験したのは、トルコのカッパドキアである。ここもルクソールと同様、気球で世界遺産(自然)を空から見物するのが名物になっている。しかし、2009年5月に気球の墜落事故で英国からの観光客1人が亡くなり、パイロットら10数人が重軽傷を負う事故があり、日本の旅行代理店の多くは気球周遊の「オプション」を取りやめた。それでもカッパドキアに入る観光客からは、気球に乗りたいという希望が多く、ツアーの場合、旅行代理店側は「離団証明書」にサインさせたうえで現地の気球会社に紹介しているようだった。 私の場合も同じ手続きがあった。ツアー添乗員も個人の資格で気球に乗った。事故の場合、旅行会社に責任はないということなのだろう。早朝、カッパドキアの空には数えきれないほどの気球が上がっていた。空から見る奇岩の風景はたしかに見事であり、55分間の滞空時間中は、景色に見とれて事故のことは全く頭には浮かばなかった。当日は風もなく穏やかな日和だったので、数多くの気球が飛んでいてもニアミスの危険はなかった。料金は1万9000円だった。 カッパドキアの気球体験を記した当時のブログの最後に「カッパドキアの壮大なパノラマをカメラの収める人たちの顔は幸せそうに見える。みんな童心に戻ったに違いない」と書いた。気球周遊を待ち望み、その願いがかなった人たちの表情は本当に楽しそうだった。ルクソールで事故に遭遇した日本人も、事故直前まではそんな気持ちだったに違いない。その意味でも今度の事故は残念でならないし、事故に遭われた方たちの冥福を祈りたいと思う。 それにしても海外の旅はリスクが付きまとう。いま、1年間に海外旅行をする日本人は約1700万人に達する。全国民の1割以上が海外旅行をするのだから、世界各地で日本人が事故や事件に巻き込まれる可能性はかなりあるのだ。私自身、以前訪れたソロモン諸島の首都・ホニアラで乗っていたバスが事故を起こし、負傷したことがある。日本にいても事故、事件に巻き込まれることもあるが、海外ではそのリスクが格段に高くなることを強く意識して行動しなければならないと痛感する。気球事故のニュースを見て、自由律の俳人種田山頭火「旅のかきおき書きかへておく」という句を思い出した。 かつてフランスにはボードレールクールベ、デュマなど有名人の肖像写真を残したナダール(1820年4月6日―1910年3月21日)という写真家がいた。彼は気球愛好家としても知られ、1858年には気球に乗り、世界初の空中写真の撮影(パリ市街)に成功している。人類に空からの景観の素晴らしさを教えたナダールは、ルクソールの事故に対し「何をやっているんだ」と苦々しく思っているのかもしれない。
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