小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1084 謙虚な指導者像 新島襄と自責の杖、そして八重

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ことしのNHK大河ドラマ「八重の桜」は、福島県会津若松出身で、同志社大学の創設者新島襄の妻・新島八重の生涯を描いている。同志社出身の作家、福本武久は八重を主人公に2冊の小説(「小説・新島八重 会津おんな戦記」「新島襄とその妻」を書いている。 史実を基にした歴史小説で、後者は同志社を設立した夫・襄と苦闘の日々を歩む姿が中心だ。中ほどに、新島襄という人物の謙虚さを浮き彫りにするエピソードが紹介されている。いま連日のように体罰問題がメディアに取り上げられているが、教師やスポーツ指導者にとって、襄の行動は一つの指針といえるかもしれない。 江戸時代末期、密航して米国に渡った襄は、名門私立学校・大学を卒業、さらに神学校で学んだ後明治7年に帰国、同8年に京都に同志社英学校(同志社大学の前身)を設立する。学校運営をめぐって、徳富蘇峰(猪一郎)ら上級生グループと対立した際、襄は有名な事件を起こす。 1880年(明治13)4月13日の朝礼で「生徒諸君が校則に服さないのは私の不徳のいたすところ。しかし同志社の校則は厳然としたものだ。されば校長である私はその罪人を罰します」と話し、持っていたステッキで自分の左掌を打ち続けたのだ。「自責の杖事件」として同志社に伝えられているという。 一方で、この事件から1世紀を経た今日、大阪の市立桜宮高校や柔道日本女子代表監督の体罰問題がメディアをにぎわし続けている。「選手を強くするための愛の鞭」が少年を自殺に追いやり、トップクラスの女子柔道選手たちを苦しめている。かつて存在した軍隊は、新兵へのいじめ、体罰が日常的に行われていた。それが、体育会系といわれる人たちに受け継がれているという指摘は、的外れではない。 小学校のころ、こんな教師がいた。黒板に問題を書いて自習をさせ、自分は職員室に行ってタバコを吸いながら時間をつぶす。30分ほどしてそうっと戻ってきて、席を立って遊んでいる同級生の後ろに回って、頭にげんこつを振るうのだ。私語を交わしている者がいると、黒板に向かっているふりをしていきなり振り向き、彼のところに行って竹の棒で尻を叩く。その光景は忘れることができない。かつてはこんな教師がいた。そして、いまなお体罰を振るう教師が存在する。新島襄とは、天と地の違いではないか。 新島襄は、米国でキリスト教の洗礼を受けたクリスチャンである。妻の八重も洗礼を受け、レディファストをモットーとする襄に大事にされる。男尊女卑を普通に思っていた徳富蘇峰からは「頭と足は西洋で、胴体は日本という鵺(ぬえ)のような女がいる」と非難されたそうだ。しかし、鵺といわれても動じなかったというから、八重は肝の据わった女性だったのだろう。 福本は、2冊の本を書くに当たって資料を探したが、八重に関する記録や資料は少なかったという。ウィキペディアには、同志社女子大所蔵の八重の晩年の写真2枚が掲載されている。それを見ると、私の祖母がそこにいるような懐かしさを感じる。八重は、鵺のような得体の知れない女性ではなかったはずだ。 写真 家族がフィンランドで見た雪。日本ではこんな雪は見ない。