小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1072 「スマ歩」で忙しすぎる日本人 利器に振り回される日常

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「スマ歩」という造語が新聞に出ていた。街中や駅のホームなどで歩きながら携帯電話のスマートフォンスマホ)の操作に熱中すること(日経新聞1月9日夕刊、スマ歩にヒヤリ!)だそうだ。うまい造語だと思う。それにしても、人ごみの中でスマートフォンの画面に熱中するほど、日本人は忙しいのだろうか。 以前、携帯電話を使いながら車を運転する危険性が指摘され、道路交通法で罰則規定が設けられたのは、周知の事実だ。しかし、スマートフォンが普及し出すと、電車の中や駅のホーム、階段だけでなく、路上でも歩きながらその画面を見ている人が日常化した。駅の階段の上り下りで前の人の動きがおかしいなと思ってみると、スマートフォンを見ながらわが道を行くペースで歩いている人がいたりする。満員電車でも平気で肘を張って画面を見つめる人が目につく。自転車に乗りながらスマホを見る「ながら自転車族」も珍しくなくなった。 スマホを含めて、携帯電話で気になるのは電車の優先席で携帯電話をいじっている人が常態化していることだ。車内放送で「優先席では電源を切り、車内ではマナーモードに」と呼びかけているが、優先席に座る人たちにはこの放送は馬の耳に念仏状態のようだ。 スマートフォン・携帯電話は便利さを追求した現代文明の利器であることには間違いない。だが、いまの日本人は、この利器に振り回されているように思えてならない。先日、夜8時すぎの地下鉄に乗った。ラッシュ時間が過ぎて立っている人はほとんどいない。反対側に座っている人は8人いるが、このうち読書をしている1人を除いて7人が携帯・スマートフォンの画面を見つめていた。これを知人に話したら、「そんなこと珍しくもない」と一笑に付されてしまった。 中国に返還される直前の1997年春、香港に行った際、街の中で驚いた経験をしたことを思い出した。多くの人たちが携帯電話を使いながら歩いているのだ。日本では見られない光景だった。当時の香港は日本に比べ携帯電話の普及率が高く、携帯電話大国といわれたが、いまの日本の姿は15、6年前の香港の姿を彷彿させるものがある。 前々回のブログに書いた三浦しをんの「神去なあなあ夜話」「神去なあなあ日常」で、三浦は携帯電話を使う必要性のない村に生きる人々を描いて見せた。一方、2009年に訪れたラオスの山岳地帯では妻に織物の店をやらせ、携帯電話を持って自分は遊んでいる「道楽亭主」もいたから、いずれあの国もかつての香港や現在の日本のような姿になる日がくるのかもしれない。 写真 ラオスの山岳地帯の子どもたちの家の手伝い風景