小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1022 トルコの小さな物語(5)アザーンとウスクダラと

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トルコの旅から帰ってきたら、血なまぐさいニュースが流れた。シリア国境の東部のアクチャカレという町に、シリアから発射された迫撃砲が着弾し、トルコ人の子どもや母親5人が死亡し、10人が重軽傷を負い、トルコ軍がシリアに向け報復攻撃をしたというのである。イスタンブールの雑踏を歩く屈託のない笑顔の人たちを思い出しながら、紛争の火が拡大しないことを願うばかりである。画像画像 旅をした直後は、その記憶は鮮烈だ。しかし時間の経過とともにその記憶は薄れていく。だから多くの旅行者は、デジタルカメラという文明の利器を持って記録を撮り続ける。一方で、そうした記録に頼らず、自分の記憶に長くとどめようとする例外的な人もいる。過去の海外への旅でそれを実践する2人に出会った。今回はカメラやビデオカメラという機器以外に、スケッチという手段で記録を取り続ける人とも出会った。 カメラを持たない人は、2人とも同じことを話してくれた。「写真を撮ると、美しい風景や建物の印象が残らない。だから自分の目で見て、はっきりと頭に記憶させるのです」と。一人は70歳前後の男性、もう一人は34、5歳の女性だった。別々の旅で、2人ともカメラを持った人たちの慌ただしさとは無縁に、ゆったりと対象を見ていたことが忘れられない。以前に挿し絵を仕事とする人と一緒の旅をした際、この人もスケッチを描いていたが、今回の旅でスケッチ帳を持っていたMさんは、元会社員で50歳の時から、スケッチを習っているそうだ。 旅を終えて、スケッチした枚数を聞くと45枚という答えが返ってきた。彼によると、この枚数は過去の旅に比べかなり多いそうだ。それだけ、彼の絵心をくすぐる対象がトルコには多かったことが分かる。カメラ派の私は1500枚近くを撮影し、どれをプリントアウトするか選択に困っているのだから、滑稽だと思う。 トルコの旅のブログ1回目に「悠久の歴史と大自然の営みと」というタイトルを付けた。トルコには11の世界遺産文化遺産9、複合遺産2)があり、私は今回「イスタンブール歴史地区」「ハットゥシャ」「トロイの考古遺跡」「ギョレメ国立公園カッパドキアの岩石遺跡群」「ヒエラポリス―パムカッレ」という5つの世界遺産に接することができた。このうち複合遺産は、文化遺産と自然遺産の両方を兼ね備えている遺産で、世界には24あり(日本はゼロ)、トルコのカッパドキアとパムカッレも複合遺産として指定されている。
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画像 たしかに、前回のブログにも書いた通り、この2つの遺産に触れないことには、トルコに行った意味がないというのが正直な感想だ。当然、私の写真もここでのものが多いし、Mさんの45枚のスケッチも2つの複合遺産が中心だったと思われる。旅の途中、夜明け前や日没の時間帯に、イスラムの祈りを呼びかける「アザーン」が拡張スピーカーから流れているのを度々聞いた。旅の情緒をかきたてる呼び掛けだが、録音をしなかったので、記憶にとどめるしかない。
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トルコの民謡が原曲で1953年にアメリカのミュージカルショーでアーサー・キットが歌って有名になり、日本では雪村いづみ江利チエミが吹き込んでヒットした「ウスクダラ」という歌がある。今回の旅でオスマントルコ時代の曲といわれる原曲が現在トルコでどの程度歌われているのかジェンキさんに聞くのを忘れた。CDも出ているそうだから、たぶんいまも歌われているのだろう。それを現地で聞き、記憶に残したかったと思うが、その機会はなかった。 気球を上げるバーナーの火の「シュー」という勢いのある音も、トルコの旅の記憶に残るものだった。パイロットのすぐ近くにいた私は、その音に驚きながら何度も高く上る火炎を見つめ、落ちてくる煤を何度も払ったものだ。イスタンブールの雑踏ではサバを焼くにおいが漂ってきて、サバのサンドイッチが食べたくなった。 旅は五感でするものなのかもしれない。(続く) 写真 1、ドライブインで出会った兄弟 2、3、街の食べ物売り 4、5、子ども達の表情はいい 6、気球のバーナーは勢いがある 7、イスタンブールの街中の橋の上で釣りを楽しむ人々