小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

1016 6年で1000本超えたブログ 文は人なりを忘れずに

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私がこのブログを始めたのは2006年9月13日だった。この日は「Hana あるゴールデンレトリーバー」という題で飼い犬の写真を5枚載せ、短い文を書いている。遊び半分のつもりだった。それが書き続けて6年が経過したのだから、自分でも驚いている。数えてみたら昨日(9月18日)の「40年前の国交回復は遠い過去に あるチャイナウオッチャーの回想記」で1015本になった。継続は力なりともいうが、次は1500本を目指したい。 6年で1000本を超えたということは、年平均約156本、月13本になる計算だ。テーマは、社会の動きや自然の風景、読んだ本のことなどのほか、このブログをスタートさせたあと、同じ年の暮れごろから旅の多い仕事を続けているため、旅先で出会った人や出来事を紹介することも少なくない。 東日本大震災があった昨年は被災地をしばしば歩いた。心が重い旅だった。そんな大災害の年の10月のある日、名古屋市美術館日本画家の平松礼二展を見た。その中の1枚に荒れ狂う海に囲まれ、花で埋め尽くされた富士山を描いた「2011311-日本の祈り」(縦1・8メートル、横4・2メートル)という大作があった。この作品について私は、ブログで「花で埋め尽くされた富士山は、巨大地震津波(絵の中では富士山を囲む荒波か)という厳しい試練を受けても『凛』とした姿勢を維持しようとする、日本人の精神を象徴しているように受け取ることができる」という感想を書いた。 それは、私の当時の願望だった。多くの悲しみと苦しみをもたらした東日本大震災原発事故は、自然の脅威の前に人間がいかに弱い存在であるかを実証した。そんな2011年が終わり、ことしは竹島尖閣北方領土も)という領土をめぐって隣国との国際政治・外交という大きな試練が続いている。政治家たちの責任を放棄した姿に私は苛立ち、社会のテーマでいくつかの問題を書いたこともある。 フリー百科事典「ウィキペディア」で「ブログ」を調べてみると、やや古い数字しか出ていないが、2006年3月末時点で日本国内のブログの利用者は2539万人(総務省調べ)だったという。周囲を見渡してみると、ブログを利用している友人、知人が目につく。一方で、始めてみたものの、後が続かずに更新をやめてしまったブログも多い。ブログを利用するうえではっきりとした目的がないと、長続きしないようだ。 私の場合、文章を書き続けることで頭の老化を防止しようということが第一の目的で、材料を探すために「好奇心」を失わないよう努めている。ブログを継続する中で心がけているのは、誹謗中傷、悪口雑言のたぐいは控え、抑制ある文章にしたいということだ。それができているかどうかは分からないが、そうありたいと願う。「文は人なり」(フランスの博物学者・数学者ビュフォンの言葉)なのである。 追記 投書、計算間違いで6年で900本を超えた書いたため、いただいたコメントは900本を前提にしたものです。 (写真は、友人の松岡直さんが撮影した北海道美瑛の風景)