小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

993 大災害に立ち向かう矜持 山本一力著「菜種晴れ」を読む

画像 昨年3月11日の東日本大震災の直後に、山本一力の「菜種晴れ」は文庫本として中央公論から発売になった。単行本としては2008年3月の発行だから3年後の文庫本化である。江戸末期の時代小説である。大火と大地震に襲われた江戸の下町。その中で生き抜く若い女性の姿を山本は情感あふれる筆致で描いた。 山本自身、同じ悲劇が現代日本で繰り返されようとは思ってみなかったのかもしれない。だが、この女性主人公の爽快な生き方は、東日本大震災原発事故で途方に暮れる被災者たちに力を与えてくれるはずだ。 房総勝山(現在の安房鋸南町)の菜種栽培農家の末っ子として生まれた二三は、5歳のときに江戸・深川の菜種油屋、勝山屋の養女となる。養い親から深い愛情で育てられた二三が15歳の時、深川の大火で養父母は焼死し、勝山屋は廃業処分を受ける。二三は、勝山屋の蓄財の大半を被災者の賠償に使う。 その後9年経て二三は、勝山の母親とともに深川に天ぷら屋を開き、繁盛店となり、婚約者も得る。しかし好事魔多しで、二三が母親と婚約者を残して勝山に里帰りしている間に、江戸は大地震に見舞われ、2人はつぶれた家の下敷きになり死んでしまうのだ。繰り返される大災害に打ちのめされた二三の生きる道はあるのだろうか。 それは、菜種晴れという題名にあるとおり、菜種とのかかわりである。詳しくはここでは割愛するが、どんな絶望的状況にあっても生きる希望さえあれば人間は立ち直ることができると、山本は言いたかったのだろうと思う。 どんな時代にあっても、二三のような、真っ直ぐな生き方に惹かれるのは私だけではないだろう。逆境に追い込まれても矜持を失わない姿勢。それを忘れてはなるまい。 矜持という言葉を広辞苑で引くと「自分の能力を信じていだく誇り、自負、プライド」とある。そんな矜持を持つ人は、東日本大震災の被災地には少なくないのではないか。だが、寡黙で頑固な東北の人たちが、私は心配でならない。 それにしても、関西電力八木誠という社長は、鈍感な人である。大飯原発3号機に続いて4号機が再稼働したことについてコメントし、次は高浜だと言い切ったのだ。大飯自体が活断層の問題がクリアされていないのに、安全性のチェックが終えていない高浜の再稼働に言及するのだから、KYそのものだが、発言の背景には、ガタガタの民主党政権など問題にしない、どうせ野田首相は高浜の再稼働も認めるだろうという魂胆がありありだ。この姿勢からは国民のライフラインを担う企業責任者の矜持は感じられない。まさしく打算そのものだと思う。