小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

945 北京の旅(2) 50万人が集う天安門広場

画像
かつて民主化を求めて多くの学生や市民が集まり、人民解放軍によって武力弾圧された天安門広場は約40ヘクタールと広大で、全体に白い花崗岩が敷き詰められている。10月1日の国慶節には50万人の人たちが集まるが、花崗岩はちょうど1枚で1人が立つことができるほどの大きさに区切られ、当日の式典の際にはそうして50万人をうまく収容できるのだそうだ。 間もなく天安門事件から23年になる。広場は国内外から詰め掛けた観光客でにぎわっていた。犠牲者の血がおびただしく流れた広場だが、写真を撮る屈託のない顔をした人たちの姿を見ていると悲惨な事件は忘れ去られたかのように錯覚してしまう。 人を縫うようにして歩きながら、28年前の朝、宿舎の北京飯店からここまでジョギングをしたことを思い出した。北京飯店から天安門広場までは200メートルしか離れていないが、何しろ広場は広いので、走る距離はけっこうある。 当時の日記を見ると、仕事で中国にやってきた私は行き掛かり上、同室の先輩と朝になったらジョギングをすることを約束した。ところが、その前夜に、訪ねてきた中国人夫妻と一緒に酒を飲みすぎた。朝になると二日酔いがひどかったが、我慢して先輩と一緒にジョギングに出た。先輩はトレーニングウェアを用意していたが、私はジャージの寝間着姿だった。通りには自転車の人たちが増え始め、ジョギングをしている高齢者もいる。散歩をしている老人は変な格好の私を驚いた顔で見つめていた。
画像
天安門広場まではすぐなので、何とか肩を並べて走ったが、そのあとが続かなかった。広場を端から端まで走ると、先輩は一定のスピードを持続したままホテルに戻り始めた。私といえば、広場の半分ほどで息が苦しくなり、ギブアップしてしまった。先にホテルに戻っていた先輩は、私のだらしなさにあきれたようで「最近の○○部は堕落しているな」と言って、笑っていた。たしかにそうだった。わずか4キロ程度しか走っていないのに、私の顔は鏡で見るとフルマラソンを走ったように、やつれていたのだ。 天安門は、紫禁城と呼ばれた故宮の正門だ。その故宮には、ラストエンペラーといわれた清朝最後の皇帝でのちに旧満州の皇帝にもなった愛新覚羅溥儀や、清朝の権力者、西大后らが住んでいた。映画で西大后役をやった劉暁慶(リウ・シャオチン)に会ったのは、先輩とジョギングをして恥ずかしい思いをした翌日だった。当時、中国のトップ女優といわれ、気が強く足を組んだままで、自分が気にいらない質問には答えてくれなかったとメモにはある。
画像
彼女はビジネスの世界でも活躍したが、巨額の脱税が発覚して逮捕され、有罪判決を受け服役した。出所後活動を再開したという情報もあるが、北京を案内してくれた中国人ガイドは「最近テレビや映画では見かけないですね」と教えてくれた。 西大后の指名で皇帝になった溥儀は、時代に翻弄された生涯を送り、文化大革命が起きた翌1967年にがんで亡くなった。一方、弟の溥傑は書家として名を残し、日中交流の懸け橋としても活動した。「一期一会」が最後の書だったという。現代中国で、日本軍に利用された兄は評判が悪く、書の大家になった弟の方は人気が高いという。
画像
故宮の一角に、掛け軸などを売る店があり、溥傑の弟子を名乗る郭謙(雅号、老圃=北京書法家協会会員、中国当代書画芸術研究会副会長、シンガポール神州芸術院高級院士、東方芸術研究院客席教授、長江書画院院長=という書家が、書の実演を見せていた。日本人観光客が立ち寄る店らしく、老圃先生は「俺の書はどうだ」というばかりの自信に満ちた表情で、私たち日本人を見つめていた。
画像
写真 1、この煉瓦1枚に1人が立つという 2、毛沢東の写真は自分の記念館をみつめている 3、故宮内の人波 4、溥儀が愛用したテーブル 5、故宮近くでの女性モデルの撮影会 追記 劉暁慶に関するニュースが5月15日に出ていた。61歳になった彼女は美しさと若さを保っているとのことだ。