小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

937 雪国・旭川で聞いたいい話 光はすぐ隣にある

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どの人に尋ねても「この冬は雪が多い」という答えが返ってくる。深い雪に覆われた北海道旭川で明るい話を聞いた。この街で私立高校を運営している知人が約束の店にやや遅れて飛び込んできた。彼は開口一番「きょうで就職希望者全員の就職が決まった。102人目だ」と、うれしさを隠さずに話したのだ。 その高校は、商業科などの職業科と普通科を併設し、野球、サッカー、女子バレーボールの強豪校として知られる。知人によると、この3月で卒業する生徒のうち就職希望者は102人で、この日最後の一人が決まり、何と9年連続して就職内定率が100%になったというのだ。就職先は旭川市内の企業が7割を超えているが、それだけこの高校の地元での信頼が高いということなのだろう。昨年は最終的に全員が決まったのは連休後だったそうだから、学校側が企業に対し粘り強く働き続けていることがうかがえる。 厚生労働省の最近の発表によると、昨年11月時点で高校生の就職内定率は73・1%。一方文部科学省の昨年末時点の調査では80・4%になっているから、知人の高校の達成率はずば抜けているといっていい。 この高校は、知人の父親が1960年(昭和35)に創設し、2代目だった兄が急逝したため知人は東京の報道機関の記者をやめ、1997年(平成9)に3代目の理事長に就任した。穏やかな性格だが、記者時代は潜行取材を続け、大きな特ダネを何度もものにした。「大したことではない」というが、経済的な事情で修学旅行に参加できない生徒をポケットマネーで札幌まで連れて行き、一緒に市内を見物させるのも彼の恒例行事だ。生徒にとっては修学旅行に行けなかったことよりもこちらの方が思い出になっているかもしれない。 旭川を舞台にした小説の名作「氷点」の著者、三浦綾子は「ひかり」(講談社刊、小さな一歩から)という文章を書いている。
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《人生順調な時があり、不遇な時がある。不幸に見える時あり、幸福に見える時がある。何にしても、絶望する必要もなければ有頂天になる必要もない。いつの日も光は私たちにすぐ隣にあると信じたい》 せわしい記者生活をやめ故郷に戻った知人は、多くを語らないが、こんな思いで生徒たちに接しているのかもしれない。 JR旭川駅がきれいになった。新しい高架式駅舎が完成し、2010年10月10日に一部開業、2011年11月23日、全面開業したのだ。全体がバリアフリー構造になっており、南側は忠別川に面していてガラス張りの外壁で、内壁には北海道産のタモ材が使われ、柱のコンクリートも木目調のため気持が落ち着く。改札口から入った「ピープル・ウォール」という内壁には「旭川に名前を刻むプロジェクト」によって集められた1万人の名前が刻まれている。 駅舎内部にはだれでも利用できるテーブルが数多く置かれ、旅行者にも市民にも居心地のいい駅舎だと思う。外は寒くても、テーブルに座るとやわらかな日差しが私を包み込んでくれた。就職が決まった知人の高校の生徒たちの何人かはこの木の香りがする駅舎を通って、この街を離れていく。 (この高校は旭川実業高校です)
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写真 1、滝川で見かけたツリーハウス 2、氷点の舞台の見本林入口 3、旭川駅の外観 4、旭川駅改札口を入ると木の壁があり、そこには1万人の名前が刻まれている