小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

930 天を怖れよ 小川未明も嘆く世相

児童文学者・小川未明の「天を怖れよ」という短文を読んだ。9歳になった犬を飼っている。ひときわ寒いこの冬でも、元気そのものだ。毎朝の散歩道をすたすたと歩く犬を見ながら、動物に対し深い愛情を示した未明の文章を反芻する。

《人間は物を言うことができない動物を利用することのみで取り扱っているが、動物は人間の食用、玩具のために、使役のために創造されたものではない。動物の子どもに対する眼と心が最も正しい。一番高貴で同情深く、且つ道義的だ。動物がいかなる場合にせよ、飼い主を裏切ったことがあろうか。彼らより正直で忠実なるものが、他にあったであろうか。感情に表裏なく、ひとたび恩を感ずれば、とうてい人間の及ばぬ忍耐と忠実とを示してきた。神が与えた聡明と歯牙に頼るよりほかは、何ら武器を有しないすべての動物に対し、人間の横暴は極まっている。昔の人間は常に天を怖れた。万物の生命を愛してこそ、初めて人間は偉大なのだ》(要約)

未明は「人間は天を怖れることを忘れ、この宇宙の支配者として君臨していると錯覚しているのではないか」と、言いたかったのだろうか。この文章は1940年(昭和15)に発表されたのだが、70年以上の年月が経過して未明の危惧はますます深まっているように思える。利益至上主義が世界を覆い、天を怖れぬ行為が横行している時代が続いているのだ。

昨今の政治家や官僚たちの行動も「天を怖れぬ」といっていい。政府が東日本大震災関係の「原子力災害対策本部」など10にも上る重要な会議の議事録を作っていなかったことが発覚した。前任者が不適切発言で更迭されて再起用された沖縄防衛局長は、宜野湾市長選に絡んで、同市在住の職員・家族の有権者リストを作成させ、職員らに「講話」をしたことが国会で暴露された。

いずれも噴飯もののことなので、これ以上は書かないが、昨今、常識外れの事象が多すぎる。そういえば、大相撲でも不祥事の責任を取ってやめたはずの北の湖(元横綱)親方が役員改選で理事長に復帰した。人材不足というより、各界の非常識ぶりを露呈した動きだった。

未明に戻る。子どもの眼と心が最も正しいと書いた未明は「たとえば、屠殺場へ引かれていく、歩みの遅々として進まない牛を見た時、あるいは多年酷使に耐え、もはや老齢役に立たなくなった、脾骨の見えるような馬を屠殺するために、連れて行くのを往来などで遊んでいて見た時、飼い主の無情により捨てられて、宿なしとなった毛の汚れた犬が、犬殺しに捕らえられた時、子どもらがこれらの冷血漢に注ぐ憎悪の瞳と、憤激の罵声こそ、人間の閃きでなくてなんであろう」と、筆を進めている。

いま、子どもからの憎悪の瞳と憤激の罵声にさらされる人間は、少なくない。