小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

919 一瞬も無駄にしないひた向きさ サッカー・市立船橋の優勝を見て

プロや社会人、大学という上の年代に比べたら高校生が技術的にも体力的にも劣っているのはだれもが思うことだ。だが、「一瞬の時間も無駄にしない」という点では、高校生のスポーツはひけをとらない。というよりも先輩たちに優っているといっていい。全日本高校サッカー市立船橋四日市中央工業戦を見ていて、そう思った。

前半戦開始直後に四日市がいきなり先制点を入れ、その後は後半も含めて市船の猛攻撃をかわし続けた。しかし、後半のロスタイムで市船は主将の和泉が同点ゴールを入れ、さらに延長戦前半に再び和泉が得点、2―1で9大会ぶり5度目の優勝を飾ったのだから、テレビ観戦に力が入った。

得点経過を見ていると、ロスタイムになっても1秒1秒を無駄にしない市船の集中力が同点につながり、さらに延長での逆転になったと思える。それにしても両チームともよく走っていた。110分を走り切った選手たちは疲労困憊だったに違いない。私はそれを爽快に感じた。テレビにアップされた顔からは汗にまみれても、まだやれるぞという雰囲気が伝わってくる。

サッカーと人気を二分する高校野球も、全力で試合をする姿勢が大きな魅力であることは言うまでもない。攻守交替の際は当然のように、全力で走っている。それが先輩たちの野球では影を潜めてしまう。プロ野球の時間の掛け過ぎはおかしいと、私は思う。サッカーを含め、その他のスポーツでも高校スポーツとそれ以上では純粋さが違う。ずるさが入り込んでいるのである。

早朝、犬と散歩に遊歩道に出ると、30代前半と思える男女と小学1年生くらいの男の子がジョギングをしていた。たぶん家族なのだろう。女性が先頭で男の子は並ぶように走っている。男性はやや苦しそうで、2人の後を追っていた。3人ともいまの私が走っても追いつけなくらいのスピードだ。このまま、少年が成長したら恐るべきランナーになるだろうと思った。

3人の様子は、まさに「一瞬を無駄にしないで走ろう」という雰囲気だ。どの程度走るのか分からないが、3人の姿は見る間に小さくなった。このあと私はいつものように後ろ歩きを続けた。歩みは遅いがけっこう一生懸命なのである。