小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

867 「一世紀を生きて・・・」 柴田トヨさんと日野原さん

この4日に百歳を迎えた医師・日野原重明さんをNHKの特集を見た。認知症になった夫人、聖路加病院緩和ケア病棟の2人の患者を中心に、いまも現役を続ける日野原さんの姿を追った番組だ。

「感謝」という言葉が日野原さんの現在を支えていると、知った。ことし1月、別の媒体に書いた「一世紀を生きて」という文章を採録する。

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「一 世紀」とは西暦元年(1年)から西暦100年までのことである。厚生労働省の統計によると、日本の100歳以上の高齢者は2010年9月1日現在4万 4449人で、ことしはさらにこの数字を上回るものとみられている。卯年に「白寿」を迎え、長寿の人たちの仲間入りをする極めて印象的な2人を紹介した い。それは混迷の時代を照らす「一筋の灯火」のような存在だ。

柴田トヨさんという無名だった詩人と聖路加国際病院理事長の日野原重明さんのことである。日野原さんは、文化勲章を受章した著名人で、99歳の現在も現役 として動き回っている。一方、数年前までは無名だった柴田さんもいまや「超有名人」になった。彼女の処女詩集「くじけないで」が100万部を超える大ベス トセラーになったからだ。

栃木県で一人暮らしを続けながら92歳から詩を書き始めたという柴田さんの詩は、短いが優しい。詩集の題名にもなった「くじけないで」という詩をはじめ、 柴田さんの詩は人生につまずき、死の誘惑に負けようとする人たちを励まし、生きる希望を芽生えさせる力があるのだという。

<ねえ不幸だなんて溜息をつかないで 陽射しやそよ風はえこひいきしない 夢は平等に見られるのよ 私辛いことがあったけれど 生きていてよかった あなたもくじけずに>

柴田さんは、最近多くのメディアで取り上げられている。33歳のときに調理師と結婚し一人息子がいる。夫とは19年前に死別、息子の誘いを断り一人暮らし を続ける。99歳の現在、体は衰弱しヘルパーや看護師に頼って生活しているが、詩を書くことはやめない。産経新聞の「朝の詩」という詩の投稿欄に投稿した 詩がこんなに多くの注目を集めるとは、柴田さん自身思わなかっただろう。柴田さんは詩を通じて、多くの人たちとつながっているのだ。

同じ柴田の姓で俳人の柴田白葉女に「人が来てまた去る冬の小さき門」という句がある。こんな繰り返しの日常だったはずの柴田さんだが、詩を通じて、多くの人たちとつながりができた。

一方でこんな話もある。宮崎市NPOホームホスピス宮崎(市原美穂理事長)の会報「ぱりおん」13号に聞き書き作家の小田豊二氏が書いている。

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あるおばあちゃんが私に言いました。「オレオレ詐欺でもいいから、電話がかかって来ないかな?」「そんな馬鹿な」「だって、あなたが来てくれるまで、私、この1ヵ月、誰とも話していないんだから」「ウソでしょ」と私は言った。でも本当だった。

それから、私はおばあちゃんに聞いた。漬物の漬け方、黒豆の煮方、1かけ2かけて3かけての歌、毎朝やってきた物売りの声、洗い張りのこと、昔のシャン プー、よく聞いたラジオ番組・・・・・・「ああ楽しかったわ。また来てね」おばあちゃんが子どものような笑顔を見せた。家に戻り、ニュースを見ると、全国 の公営団地で、毎日4人のお年寄りが孤独死していた。2009年の統計である。

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世界に例のない高齢化社会は、小田さんが書くように、お年寄りが「孤独」と闘う時代へと突入していることを示している。所在が確認できない100歳以上の 高齢者が23万4000人に上るという法務省の発表(2010年9月10日)は、「無縁社会」という現代日本の姿を強く印象付けた。

日野原さんは、こうした時代にあって「いのちの尊さ」を訴え続けている。

何度か日野原さんの講演を聞いたことがある。小学生を相手に「いのちとは何か」という授業を続ける日野原さんは、平和こそが命を守ることだと訴える。その 行動力は大変なものだ。睡眠時間は平均5時間、スケジュールは数年先まで埋まっている。97歳の時の講演では、最後に「(神から)与えられた(残りの)年 月を全力で激しく生きていきたい」と言って、私たち聴衆に大きな感動を与えた。その後も文字通り多忙な日々を送っている。

柴田さんと日野原さんに共通するのは、一日一日を精いっぱい生きようという姿勢だ。2人が生まれた100年前の1911年(明治44年、柴田さんは6月 26日、日野原さんは10月4日生まれ)は、中国では辛亥革命清朝が倒れ、ノルウェーアムンゼンが南極探検に成功している。日本では大逆事件で幸徳秋 水ら24人の死刑が執行された年で、明治はそれから1年半余で終わり、大正、昭和、平成と激動の時代が続く。4つの時代を生きてきた2人は、深い霧の中を さまようような、現代日本の姿をどのように見ているのだろうか。柴田さんは「返事」という詩で生きる姿勢をユーモアたっぷりに書いている。

<風が耳元で「もうそろそろあの世に行きましょう」なんて猫撫で声で誘うのよ だから私すぐ返事したの 「あと少しこっちに居るわ やり残したことがあるから」 風は困った顔をして す―っと帰って行った> 

そう私たちには、やることがたくさんあるのだ。