小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

868 「凛」として生きる日本へ 平松礼二の「祈り」を見る

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 3・11は、多くの日本人に打撃を与えた。被災地の人々だけでなく、被災地から離れて生きる私たちもその例外ではない。日本画家の平松礼二は、大震災被災者への思いを「2011311-日本の祈り」という作品に込めたのだという。

 荒れ狂う海に囲まれ、花で埋め尽くされた富士山を描いた大作の前で「本当に日本に明るい未来はあるのだろうか」と考えた。 名古屋に行く機会があり、電車の待ち時間の間に市内を歩いていると、白川公園名古屋市美術館前にさしかかり「平松礼二展」という看板が目に入った。

 月刊文藝春秋の表紙絵を担当した画家だ。日本画に凝っている友人を思い出しながらチケットを買って、展示会場に入った。 平松の作品を見て、人間の生涯は多彩であることを痛感した。

 平松は師と仰いだ横山操の影響で日本画家、川端龍子(躍動する水の世界を描き続けた)が始めた青龍社に属し、日本画の革新を志した。その後、苦闘の末ライフワークの「路」シリーズに至り、さらに近年は印象派のモネに傾倒しつつ、「華麗な」自分の世界を確立しつつあるという。

「路」シリーズに「路―『この道』を唄いながら」という1989年の作品があった。桜が満開の季節、月が浮かんだ夜の山里の景色なのだろうか。「この道」は、北原白秋作詞、山田耕筰作曲で1927年(昭和2)に発表された童謡だ。この歌に寄せる平松の心象風景が美しくて、涙が出そうになる。

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 最後に展示されていたのが「2011311-日本の祈り」(縦1・8メートル、横4・2メートル)である。この展覧会のために、美術館の依頼で描いたものであり、題名の通り、この作品は東日本大震災に対する作者の鎮魂の思いが込められているのだ。

 平松は新聞のインタビューに「日本の精神性を込めた」と話していたが、周囲を海に囲まれ、四季の美しい自然に恵まれる日本は、同時に海の脅威にさらされる国でもあることを表現したようだ。 それにしても、花で埋め尽くされた富士山は、巨大地震津波(絵の中では富士山を囲む荒波か)という厳しい試練を受けても「凛」とした姿勢を維持しようとする、日本人の精神を象徴しているように受け取ることができる。

 さらに富士山と荒波の背後には金色の世界が広がり、左下には2羽の鳥(雀らしい)が飛んでいる。これに対し「次世代への希望を映している」と、感想を記した人もいる。 50年の歴史を凝縮した82点を見終えて、外へ出る。まだ、平松の美に酔っていた。駅へと歩きながら、平松が絵を通じて送った「鎮魂」のメッセージが震災の犠牲者に届いているのではないかと思った。