小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

829 「ここは私が生きてきた場所なのだ」 詩人の声を聞く

画像内閣府がきょう東日本大震災の避難者数を12万4594人(6月2日現在)と発表した。一方、警察庁は2万5000人少ない9万9592人と発表している。国の機関がこうした違った数字を出すこと自体おかしい。協力して正しい数字をなぜ出せないのかと思う。 原発事故の放射性物質の検査でも行政は立ち遅れている。文部科学省が発表する測定場所は福島を除いては1カ所しかないところもあり、全体に少なかった。住民の不安の声を受けてようやく最近になって自治体が地上1メートルで測定するようになった。事故から3カ月、国はなにをやっているのかと苛立つ。 新聞やテレビで報道されているように、各都道府県の公共施設には固定式の観測装置が設置されている。ところがその場所の高さが一定ではない。一般的に、放射線量は地上に近いほど高いといわれており、私たちの生活を考えれば、地表1メートル程度のところで測定すべきだったが、国はこれまで統一した高さで実施しなかった。住民の要請で自治体単独で地表近くで測定する動きが続き、文科省も生活空間と同じ地表1メートルでの測定を都道府県に依頼したという。何ともスローで、怠慢といっていい。 そんな折、福島県相馬市の酪農家が自殺したというニュースが流れた。小屋の壁にチョークで「原発さえなければ」「自分は東電に負けてしまったが、他の酪農家はがんばれ」という言葉が書いてあったという。福島では、3月にも有機栽培に取り組む野菜農家の人が自殺している。 いま、日本社会は閉塞感に包まれ、13年連続して自殺者が年間3万人を超えている。世の中に絶望する事情はそれぞれだろうが、同じ時代に生きる者としてこの実態は悔しい。大震災で心が折れそうになった人たちが少なくない。そうした人たちが、死の誘惑に負けないよう、社会全体がこの閉塞状況を打ち破る必要があるのだが・・・。 昨年亡くなった詩人、飯島正治さんが主宰していた詩誌「薇」の飯島さんの追悼号が届いた。その初めに飯島さんの4つの詩が載っている。「大宮台地」(朝の散歩より)という詩の一節で飯島さんは自分が住んだ大宮を「山ふところでもなく海辺でもなく 起伏の穏やかな大宮台地に住んで三十年 悔いに似た思いがよぎることもあるが ここは私が生きてきた場所なのだ」と記している。飯島さんの声が聞こえてくるような、穏やかな詩だ。 東日本大震災の被災者たちは「がれきの原」と化した故郷や五感では分からない放射性物質に覆われた我が家を思いながら、悔しい毎日を送っているだろう。「ここは私が生きてきた場所なのだ」と、自然に語ることができる日がいつ戻るのか見当もつかないことに、私ももどかしさを感じ続けている。