小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

784 総合芸術家・魯山人の生涯に光 すさまじい取材の評伝

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誤解されることが多かった北大路魯山人に光を当てたのが山田和の「知られざる魯山人」だ。山田はこの本で魯山人を「総合芸術家」と書いている。これほど微に入り細にわたった評伝はたぶんないだろう。しかもノンフィクションの取材がいかにすさまじいものであるかを証明する緻密な作品なのである。

ノンフィクション作品の取材にかける経費は、欧米が1作品あたり数千万円なのに対し、日本は数十万から数百万程度らしい。もちろん作家や作品によっては金をかけない場合もある。沢木耕太郎の「深夜特急」はその典型だろう。しかし、優れたノンフィクション作品を残すには徹底した取材と時間が必要だ。その裏付けとなるのが十分な経費だとノンフィクション作家が書いている。

フィクションの「自動起床装置」で芥川賞を受賞した作家の辺見庸は、この後世界各国で食べるという行為を通じて人間の生について考える「もの食う人々」というノンフィクション作品を書いた。本になる前は、当時の勤務先の通信社から加盟新聞社向けの通年企画として1年間にわたって連載された。

辺見は編集委員としてこの企画を担当し、紛争地域や途上国に入り、土地の人々とともに飽食とは無縁の食に接した。この作品が結果的に評価されたのは辺見の筆力はもちろんだが、通信社という組織の存在も力になったはずだ。要するに目的地に入るための資金的、人的な支援がこの面白い作品を生んだ背景にあったと聞く。

山田は80人以上の関係者にインタビューし、発表された魯山人の文章と彼に関する文献をすべて集めるという周到な取材姿勢で、この作品をまとめた。3年9カ月にわたって「諸君」に連載したのだから、出版社の応援も得たのだろう。それにしてもこの作品にかける執念を感じるのは、私だけではないはずだ。

ここまでは前置き。総合芸術家とはどんな人間なのだろうか。「一芸に秀でれば万芸に通ず」ということばの通り、魯山人は書家、篆刻家(印象を作成する人)、料理人、陶芸家、どれをとっても超一流の存在だった。しかし、その毒舌ゆえに敵も多く、さびしい晩年を送る。

毎日新聞の記者だった山田の父親は、魯山人と生涯交友を続け、山田は幼いころから魯山人作の食器に慣れ親しんだ。しかし父親は、魯山人の死後なぜか数多く所有していた魯山人作品すべてを手放す。

親しかった魯山人の作品を手放してしまった、父親の思いがどんなものだったかを山田は最終章で記している。それは、説得力がある論考だ。

料理人としての魯山人が素材を大事にして、素材のほとんどを使ったというエピソードに料理の神髄を感じる。魯山人はゆがいた田螺や鱒の腹皮の刺身を好物としたことから腹腔内にジストマ虫が繁殖し、肝硬変になって76歳で世を去ったという。

この作品は大宅賞を受賞している。選考委員の柳田邦男が「完璧なまでの資料渉猟によって巨大壁画のように描き出した傑作」と述べ、立花隆も「驚くべき労作だ。これだけのものが書かれることはもう二度とあるまい」という最大の評価をしている。労作であり、読み終えるまでに1週間を要した。ずしりと重い作品である。