小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

778 投書欄に見る世相 電車で洋服を着替える女子高生

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新聞の投書欄は、その時代の読者の思いを実名で掲載している。世相を反映したページともいえるが、「女子高生 電車内で着替えた」という投書(朝日、2月20日朝刊)には驚いた。 他人の目を意識しないわが道を行く人多くなったのか、羞恥心が日本人からなくなったのか。 この投書の主は神戸市に住む女子大生で、ほぼ満員のJRの電車に乗り込んできた学校帰りらしい2人の女子高生が、空いた席にかばんを置いてその場で服を着替え始めたのを見たのだという。 2人は隣に座っている男性や周囲の目を気にせず、立ったまま自分の姿が映る窓を鏡のように使い、学校指定と思われるセーターの下から、袖を抜いてロングTシャツを脱いだ。次に頭からおしゃれなセーターをかぶってそれに着替え、さらにひざ丈が長い制服のスカートからミニの制服調スカートにはき替え、終わると2人ともおしゃべりしながら化粧を始めたのだそうだ。 この間、電車に乗り合せた人たちはだれも注意をせず、投書した本人も「就職活動まっただ中で気持ちに余裕がなく」そのまま何も言わずに目的の駅で降りたと書き「もしかして、私も周囲に眉をひそめられたりしていることがありはしないか、と考えさせられました」と結んでいる。 作家の故吉村昭がエッセーの中で、中央線の電車内で弁当を食べている外国人女性の姿に驚いたと書いている。(わたしの普段着)しかし、いまやそうした光景はそう珍しいものではなくなっている。そして、今回の投書である。満員電車でも平気で携帯をいじる人たちは、こうした女子高生の行為に注意を払うこともなくなっているのかもしれない。 かつての日本は「礼節の国」(江戸時代にドイツからやってきた医師、ケンペル)といわれた。外国人が街の清潔さを称賛するように、現代でも日本はマナーのいい国に属するだろう。しかし「貧すれば鈍す」という言葉通り、日本社会は精神的愚鈍さが増しつつある。女子高生の電車内での行動は、その一例なのかもしれない。 (写真のような美しい自然を見れば、気持ちは変わるかもしれない)