小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

770 99歳と零歳 澄んだ心

先日、聴覚障害の子どものために日本手話を第一言語に、日本語の読み書き(書記日本語)を第二言語として教える「明晴学園」を訪問した。

東京都品川区八潮の廃校になった小学校を利用した日本初のバイリンガルの私立ろう学校だ。この学校に通う子どもたちのために、現在99歳でことし10月100歳の誕生日を迎える日野原重明医師が「いのちの授業」をしたのを傍聴した。

学校の先生たちが手話通訳し、日野原医師の「心臓はどこにあるの」「心臓の大きさはこぶしと同じくらい」「みなさんは何歳まで生きたいと思う」といった話に、子どもたちは目を輝かせている。

日野原さんは、1911年(明治44)10月4日の生まれだ。明治、大正、昭和、平成と4つの時代を生きいまも意気軒昂だ。何しろ、子どもたちに「5年後にまた私に来てほしいと思う人」とい質問をして約30人全員が手を挙げると、満足そうな表情を見せ、再訪を約束したのだ。

この元気さの根源は何だろう。人生に対し常に前進する姿勢を堅持しているからなのかもしれない。だから、授業を受けている子どもたちも、楽しくて仕方がないという顔で手を挙げ続けた。

この子どもたちの目を見ていると、心が澄んでいるなと思う。それは、以前訪れたラオスの子どもたちの瞳の輝きと共通すると思う。

3日後、娘が3045グラム長女を産んだ。予定日より13日も早い。今年10月に100歳になる日野原さんの話を聞いた直後の新しい生命の誕生に、ひときわ感動した。この子は、いま澄んだ心でこれからの時代を生きようとしているはずだ。つらい時、悲しいときでも、日野原さんのように前を向いて生きてほしいと思う。

小さなな握りこぶしを見る。それは日野原さんが明晴学園の子どもたちに説明したように、この子の心臓の大きさなのだ。それは、小さな命を支える源なのである。