小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

768 寒い朝の大渋滞 電車は交通機関の横綱を実感

大都市郊外に住んでいる。昨夜から雨が降り始め、今朝がたはみぞれになった。寒い朝になった。こんな朝は決まって交通機関に何かがある。

案の定、JRと私鉄の両方がストップしているという交通情報だ。そして、間もなく街全体がこれまで見たこともない車の大渋滞に見舞われた。車の列を見ながら電車は「交通機関横綱」的存在であることを実感した。

この街には、街を貫く幹線道路は2本ある。もちろん、その2本ともがJR、私鉄の駅とつながっている。通常ならば徒歩、自転車、バス、車で駅に多くの人がやってくる。しかし、電車ストップという情報を得た人たちは、会社や学校に遅れないようにと、別の路線の駅まで車で向かったから、街全体が車で覆い尽くされたかのように、幹線道路もそこにつながる道路もすべて車で埋め尽くされてしまったのだ。

そういう状態でも信号は通常のままで車は一向に進まない。私も家族を乗せて車を運転した一人で、この渋滞から抜け出すのに難渋した。電車のストップでこの状態なのだから、大きな地震など災害時にはどうなるのだろうかと、不安になった。

阪神淡路大震災でも、被災地に向かう車で大渋滞が発生したのは周知の通りである。こうした災害の際、冷静になることは難しい。つい避難に車を利用しようとするだろう。多くの人がそう思うだろうから、大渋滞は避けられない。だから車は利用しない方がいいに違いない。

電車は昼前に復旧した。しかし、ダイヤが正常になるまでかなり時間がかかった。これほどシステムが発達した時代にもかかわらず、電車は一度トラブルがあると復旧するまでかなりの時間が必要だ。利用者たちは忍耐強く電車を待っている。電車は大量輸送機関としての責任大なのである。

この朝、電車が止まっていることを知らずに駅に向かった人たちは、寒い思いをしながらいつくるか分からない電車を震えながら待ったと想像する。昨日大阪から上京してきた友人から「さすがに東京は冷え込みますね」というメールがあった。かつて、東京で暮らしたにもかかわらず、そう思うのだから、やはり「寒い朝」だったのだ。