小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

721 短編の楽しみ 「かたみ歌」と「きみのためのバラ」

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カミュの「ペスト」を読む途中で短編を読んだ。ペストは前回に書いたように、なかなか読み進めることができない重い小説で、疲れるからだ。 短編を読む楽しみは、頁数は少なくとも、一つの物語に作家の思いが凝縮されていることを感じることができるからだ。最近読んだ朱川湊人の「かたみ歌」と池澤夏樹の「きみのためのバラ」は、その条件を満たすものだ。 朱川は直木賞、池澤は芥川賞を受賞している。2つの賞は大衆文学と純文学というカテゴリーになるが、この2つの短編集はそうした枠を超え「面白い」さが伝わるのだ。「かたみ歌」は7つの短編が一つのストーリーとなる。アカシア商店街を舞台に、不思議な物語が展開する。時代は昭和。シャッター通りとはまだ縁のない時代だった。 一方の池澤の「きみのためのバラ」は、8つの短編集だ。いろいろな都市が舞台になる。東京、バリ、沖縄、アマゾナス、ヘルシンキ、パリ、カナダの島、メキシコ・・・。 本の題名になった「きみのためのバラ」はメキシコの列車に乗り合わせた青年と少女が知り合い、青年は停車駅で少女のために一輪のバラを買い、混雑する車両を縫ってこのバラを渡す。そのまま2人は「またね」と言って別れる。ただそれだけのことだが、余韻がある。 体調がいい時には、なるべく長編の小説を読む気になる。それに対し、疲れたときには短編がいいのである。日本の作家で短編の名手といわれるのは志賀直哉井伏鱒二安岡章太郎阿部昭の4人だ。朱川と池澤の短編もこうした先人たちにひけをとらない。 池澤は、9・11テロについて英国の作家、カズオ・イシグロとの対談で「災害に真っ先に駆けつけるのは報道記者で、次にレポーターとノンフィクション作家、小説家は最後に行くべきだ」と述べているという。この短編集の一つである「レシタションのはじまり」は若い夫が多情な妻を殺して逃亡の末に「ンタアレ」という奇跡の言葉に出会う物語だ。寓話のような小編は、最後にやってきた作家の9・11への鎮魂の思いを書いたのかもしれない。
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