小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

708 夏の終わりに 曼珠沙華とマロニエと

画像 きょうは十五夜だ。いわゆる仲秋の名月である。日本では昔から旧暦の8月15日にお月見をした。その伝統がいまも続いており、ススキを飾り、月を見ながらおだんごを食べる家庭がいまもあるだろう。酷暑という言葉が似合ったこの暑さも、天気予報によると、きょうまでらしい。それにしてもことしの残暑は長かった。 新聞の夕刊には、東京の真夏日(最高気温が30度を超えること)が過去最多の71日になった記事と同時に、北海道の大雪山系で昨年より13日遅い初雪があったことを紹介する記事が出ていた。季節の変わり目なのだろう。 ここ数年、夏休みは8月を避け、9月に取るようにしている。猛暑の中を出かけるには体がつらくてたまらない。それにどこに行っても人が多いから、8月はおとなしくしている。9月になれば人の動きも落ち着き、8月よりは出かけやすいと勝手に思っているのだ。その思いを実行するため、しばらく旅行をする予定だ。 9月の季語の中に「曼珠沙華」がある。植物のヒガンバナのことだが、朝、犬の散歩途中、公園の一角にこの花が咲いているのを見つけた。明日が彼岸の中日である。名前の通り、秋の彼岸に咲いている。猛暑の中でも開花の時期を変えなかったのだ その近くには、マロニエトチノキ)の実がたくさん落ちている。一部の地域ではこの実を使ってトチモチをつくるが、ここではそんな人はいないようだ。この木はヨーロッパに多く、日本でも珍しくはない。風情のある樹木なのだが、湿気のある土地を好むという習性のため、最近ではあまり街路樹として採用はされていないという。 9月の季語の中には、食べ物も少なくない。「秋サバ」「太刀魚」「秋刀魚」「鰯」「鮭」「秋茄子」などのほかに「栗」「桃」「梨」「葡萄」という果物も入っている。これらの食べ物はみんな好きだ。先日、一回り離れた姉の家に行って栗拾いを体験した。面白いように大きな栗を拾いながら、ふと、ああ秋なのだと思った。近くには黄金色に染まった稲穂の波がどこまでも続いている。 秋といえば「秋桜」を第一に連想するし、「秋遍路」も好きな言葉である。お遍路さんは春のものと言われているが、涼しくなる秋の好天の中、札所めぐりをすることをこう呼ぶのだという。この時期の遍路には寂しさが漂う。それが秋なのだ。「香煙のさすらふさまに秋遍路」(阿波野 青畝)という句が有名だ。「夏遍路」という言葉もあるそうだから、お遍路は季節にはあまり関係がないのかもしれない。 夜、夕食のあと外に出て月を見る。流れる雲の合間に忙しげに明るい月が顔を出す。夏の終わりを実感する。 (当分の間、ブログは休みます)