小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

585 けっぱれ夕張!

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北海道夕張市は冬景色の中、街中に人の姿もまばらで寒々としている。夕張本町の「ゆうばりキネマ街道」の映画の看板にも、雪が降りつけている。財政が破たんした夕張は、日本の地方の縮図のようだ。一時多くのメデイァで取り上げられたこの街の再生はあるのだろうかと思う。 夕張はなぜか映画と縁が深い。1977年に公開になり、第1回日本アカデミー賞を受賞した山田洋次監督の「幸福の黄色いハンカチ」は、ここが舞台だ。実はこの年、北炭夕張炭鉱第二鉱が閉山になり、夕張の炭鉱も斜陽産業としての道を突き進んでいく。映画では炭住街が登場し、炭鉱が盛んな当時の夕張も描かれている。だが、夕張は炭鉱の斜陽化とともに、活気を失っていく。多くの犠牲者を出したガス爆発事故(81年、85年)も斜陽化に追い打ちをかけた。 そんな夕張に活気をもたらしたのは、1990年2月から始まった「ゆうばり国際映画祭」だっただろう。「炭鉱から観光へ」を打ち出した市長が各方面に働きかけて映画祭を実現させたのだった。当時、私は札幌に住んでいた。新聞やテレビで大々的に報道される映画祭を見て「夕張はやるな」と思ったものだ。 市運営による映画祭は2006年の17回まで続いたが、同年7月に夕張市財政破綻が表面化し、市の開催は中止に追い込まれた。その後、2007年には映画ファン有志によって「ゆうばり応援映画祭」があり、さらに2008年からは映画ファンや映画祭の元スタッフたちの「ゆうばりファンタ」が中心になって再開しているという。 そんな映画の街だから、映画の看板がずらりと並んでいても奇異ではない。夕張本町の商店街を歩くと各商店に掲げられた懐かしい名画の看板がいやでも目に飛び込んでくる。「誰がために鐘は鳴る」「カサブランカ」「エデンの東」「七人の侍」「君の名は」・・・。かつて、炭鉱で働く人たちは、映画を娯楽として楽しんだのだろう。 だが、財政破綻後、街から人影が少なくなった。あるとき、夕張を訪れた私が夕食のためにキネマ街道にある飲食店に入ると、客は私しかいなかった。途中で2 人が入ってきたが、その後は来る様子がないのだった。店の主人も従業員も無駄口をたたかず、寂しい。何とかしろよと言いたかった。 北海道人に詳しい学者が北海道の欠点について、こう語ったことを思い出した。「北海道には美しい自然、新鮮でおいしい食べ物がある。だが、その上にあぐらをかいて、サービスが伴わないからリピーターが少ないのだ」と。たしかにそうだと思う。 「炭鉱から観光へ」の脱皮を図るはずだった夕張はどうしたのだろう。最悪の結果が待っていたのである。観光客を呼び込む条件は、目玉になる観光施設(自然や建物)があると同時に、それに付随するおいしい食事やサービスだ。だが、夕張には映画祭やスキー場のほかに1年を通して観光客を楽しませる観光資源はあまりない。そして、財政破綻という火の粉が降りかかった。 次々に公共サービスは打ち切られ、老人や病人にはひときわ住みにくい街になった。そんな夕張に対し、全国からエールの声が上がり、福祉面を中心に支援が続いている。 東京の広告会社は負債の多さを逆手にとり「夕張夫妻、金はないけど愛はある。夫婦円満の街宣言」などといった夕張市まちおこしキャラクターをつくり、要所に張り出した。このキャラクターが2009年6月の「カンヌ国際広告祭」でグランプリを獲得するというおまけまでついたのは、笑うに笑えない。 いま、地方は疲弊し第2、第3の夕張の出現もささやかれている。若者は仕事を求めて都会へと去り、老人しかいない家が増えている。夕張はその象徴だ。一体、この日本はどこへ行くのか。「夕張よ、けっぱれ!(がんばれ)」。 (写真は北海道・網走湖の向こうに沈む夕日。クリックすると拡大します。きれいです)