小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

567 寒い冬の朝 散歩の友よ

画像 早朝6時過ぎ、まだ暗い中、家を出る。西高東低の冬型の天気らしく風が冷たく、寒さが身にしみる。一緒の犬はねぼけまなこからようやく覚めたらしく、しきりに道端に残された他の犬たちのにおいをかいでいる。ほぼ毎日繰り返す朝の散歩である。寒さでけさは鼻水が出るほどで、明るくなると遠くに雪を抱いた富士山も見えてきた。 連れの犬「hana(ゴールデンレトリーバー、雌、7歳)」は飼い主に似たのか、わがままなところがあり、いつもと違うコースに行こうとすると、足を踏ん張って拒否しようとする。 散歩も毎日やっていると、同じコースを歩くのはあきてくる。ヨーロッパのような石畳の美しい街並みを歩くのなら楽しいだろうが、街路樹の葉も落ちた冬枯れの日本の、しかも新興住宅街は平凡で、楽しみも少ない。そこで新しい発見を求めて、最近はほぼ毎日コースを変えている。 夕方、hanaの散歩を担当する家族は、いつも同じ道を歩いているので、hanaも逆らうことなく歩くという。犬にも道を覚えるくらいの学習能力はある。あるいは、習慣で身についたのだろう。だが、朝は違う。毎日のように歩く道が変わってしまうと戸惑いがあるのかもしれない。つい、足を止めて「私の行く方角はこちらではない」というように、難しい顔をするのだ。それを引っ張りながら、なだめすかすのか日課になった。 寒い朝でも、白い息を吐きながら歩き出して1時間近くになると、体もあたたまってくる。その頃になると、もう家も近い。それを感じたhanaは、道端のにおいに気を取られていたのに、それをやめ早足になる。一刻も早く家に帰り、えさにありつきたいと思うのだろう。この時点で彼女はもう素直さを取り戻している。 彼女の気難しい面はもう一つある。たまに前日飲みすぎたり、あるいは体調が悪かったりして、私の代わりに家族が散歩に連れ出すことがある。すると勝手が違うのか、用をたすと、早々に家に帰ろうとする。hanaの力はけっこう強く、女性ではコントロールができない。その結果、家族はやむなくそのまま帰ってくることが多い。 そんなhanaは、遊ぶのが大好きだ。夜になると私と彼女はひと遊びするのが習慣になっている。私の帰宅を待ちかまえ、彼女は体を低くして、足を前に伸ばしてさあ「やるぞ」という格好をする。足に触り、顔を撫でてやると低いうなり声をあげて戦闘開始となる。 口を半分開け、尻尾を振りながら、逃げたり、寄ってきたりで忙しい。手を口に入れると、噛むふりをするが、絶対に噛んだりはしない。ソファーに上がって、隙間に顔を突っ込み隠れたとばかりの姿勢もとる。そんな遊びを5、6分やると、満足したのか大人しくなる。 hanaは7歳になった。人間でいえば44歳から54歳の間らしい。ある計算式によると、hanaのような大型犬については、最初の1年で12歳、それからは1年で7歳ずつ歳をとるという。hanaに当てはめると「12+ ( 犬年齢7 ―11 ) × 7=54 」となる。人間の換算年齢では、hanaはもう54歳なのかもしれない。そう考えると、さらに大事にしたいと思うこのごろだ。