小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

544 濃霧の朝に

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陸上で100メートル未満、海上で500メートル未満しか視程がないことを「濃霧」というのだそうだ。その濃霧がけさの散歩道を覆っていた。 このところの冷え込みで調整池端の雑木林は急に色づき始め、秋の気配が濃厚になってきた。庭にあるゆずの実が黄色に輝き、何個か落ちている。あと3週間ちょっとで12月なのだから、ゆずの実も収穫の季節を迎えたのだ。 このゆずは頑固に実をつけない木だった。現在の家に引っ越して数年して植えた。樹齢はもう20年以上たつ。だが、幹がどんどん成長しても、実は一向にならない。初めて実が鈴なりになったのは、一昨年のことだった。しかし昨年はほとんどならず、ことしは一昨年の半分程度だけ実をつけた。 ものの本によると、ゆずはなかなか実をつけないことで有名だそうだ。だから「桃栗3年柿8年、ゆずの大ばか16年」なんていうことわざをあるとか。数年前、あまりに実をつけないことに業を煮やした私は「来年ならないと切ってしまうぞ」と言いながらゆずの幹の下に方を少しだけのこぎりを使って、切れ込みを入れた。すると、その脅かしが効いたのか、翌年はけっこう実をつけたのである。 ゆずは全国各地に産地があるそうだ。高知県の山間部が特に有名だが、最近では愛媛県でもミカンだけでなくゆずの栽培に力を入れている農家があるようだ。数年前、しまなみ海道を利用して因島大三島まで足を延ばした。しまなみ海道の終点は今治で、そこにはかつて先輩が住んでいた。かつてと書くが、少し前にその先輩は亡くなっており、訪ねることはかなわなかった。 その先輩は横浜から生まれ故郷の今治に戻って、文章講座を開いて町の人たちと一緒に勉強をしていた。きれいな空気とのんびりとした生活。長生きするには最適な環境のはずだった。だが、肝臓病という持病を抱えていた彼の故郷での生活はそう長くはなかった。新しく構えた彼の自宅周辺にも、秋にはミカンやゆずがたわわになっていたはずだ。