小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

535 挫折・自己保身に走った人たち JR西日本に見る焦りと失敗

人間は本能的に自己保身をする。しかし、社会生活ではその本能を抑える必要があるのはいうまでもない。JR福知山線脱線事故で多くの犠牲者を出したJR西日本幹部たちの自己保身そのもののふるまいはとても見苦しい。

挫折を知らない人たちが、危機的状況の中でわれを忘れてしまったのだろうか。

一連の事故調査委員会メンバーへの働きかけのニュースを見ていて、だれしもがこのようなことに走る会社の電車には乗りたくないと思ったに違いない。重大事故を起こしたことに対して、実はJR西日本の幹部たちは反省するよりも、自己責任を免れようと、さまざまな工作に走る。

知人の父親がこの会社に勤務していた。彼は福知山線の事故が起きる直前に病気で亡くなった。多くの乗客を輸送する鉄道会社勤務を誇りにし、定年を間近に控えて病に倒れた。彼が生きていたら、幹部たちの失態に嘆き悲しんだに違いない。JR西日本は、そんなにひどい体質の会社になってしまっていたのだ。

交通機関は、人間の命を預かって運行している。事故が発生した場合、多くの犠牲者が出る。だから、事故が起きる可能性についてはあらゆる角度から十二分に点検し、未然に防ぐのが常識のはずだ。福知山線の事故現場周辺の危険さについては、JR西日本社内ではだれかは気づいたはずだ。だからこそ、事故調への働きかけをしたのだと思われても仕方がない。

彼らは、どんな頭の構造をしているのだろうか。本来ならこうしたケースでは「俎上の鯉」であるべき会社が、まな板から飛び出し、焦った行動をしてしまった。それが発覚しないと思ったのだろうか。

飛行機はもちろん、電車やバスの乗客は事故を想定して乗っているわけではない。安全を確信し身を委ねているのである。それを裏切ったJR西日本の会社運営の方針は、間違っていたと断言していいだろう。