小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

536 半月と木星と 心の目で見る美しさ

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 窓から空を見ると、半月が明るい。その下方には競うように木星がきらめいている。月と木星の中間を飛行機が赤い点滅を繰り返して羽田を目指し降下している。空気が澄んだ秋の夜だ。 都市部は夜も明るいから、星空の観察は難しい。

 でも、今夜の空はきれいに見える。木星(ジュピター)には確認されただけで16個の衛星があり、そのうち「ガリレオ衛星」と呼ばる4つの衛星は比較的見つけやすく、小さな望遠鏡があれば見分けがつくそうだが、肉眼ではさすがに分からない。ホルスト組曲「惑星」の中の「ジュピター」は好きな曲だ。

 しかも、これをモチーフにした平原綾香の低音域の歌が、心にしみいるほどいい。 宮沢賢治は、岩手の空を見上げながら「銀河鉄道の夜」という童話を書いた。それほど夜空には、何かを連想させる魅力がある。 9月のラオス。首都・ビエンチャンから600キロ離れた南部の都市パクセに深夜バスで向かったことは、既にこのブログで紹介した。

 座席で横になりながら車窓を見る。外は真っ暗だ。でも夜の空を見上げると、天の川をはじめとする星座がいや応なしに目に入る。まるで移動式のプラネタリウムを見ているようだった。 2007年9月。訪れたニュージーランドで一夜、南十字星を見ようと寒い中、夜空を見上げ続けた。やや天気が悪くこの星はなかなか姿を見せなかった。

 粘りが天に通じたのか、何とか天気が回復してこの目に南十字星を焼き付けた。 子供のころ、家の周辺は暗闇の世界だった。だから、満天の星が珍しくはなかった。その星空を見ながら、ぼんやりと空想の世界に入り込んだ。

 そのころ、何を目指そうと思っていたのか忘れてしまったが、子供の目で見た星空の美しさはいまも覚えている。 成長するとともに心の目が濁り、忙しさにまぎれて星を見ることが少なくなった。そんな私だが、自然と一体となって生活をしているラオスの山岳部の人たちに「心の目をしっかりと開けなさい」といわれたようで、最近は時々星空を見上げるようになった。

 今夜もそうだ。あの澄んだ瞳の子供たちも、私と同じように月と木星を見ているのだろうか。