小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

507 夜想曲集(音楽と夕暮れをめぐる5つの物語) カズオ・イシグロの世界

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カズオ・イシグロは、独特の感性を持った作家だ。イシグロといえば人生の黄昏を描いた「日の名残り」の印象が強かった。そうしたカテゴリーだけでなく音楽を共通の背景にした5つの短編からは人生の襞といおうか、あるいは陰影を感じ取り、考えることが多かった。 日本ではことし、村上春樹の「1Q84」が売れに売れた。しかし、実は今度のイシグロの短編集の方が文学的な香りは高いと私は思う。 イシグロは長崎で生まれ、海洋学者の父とともに5歳の時にイギリスに渡り、永住権も取った日系英国人だ。多作ではなく、一つの長編を抑制の効いた文章でじっくりと時間をかけて作り上げる。そのイシグロの短編集だ。やはり、味わいがある。舞台はイタリア(ベネチア)、ロンドンとイギリスの田舎町、モールパンヒルズ、ハリウッド・・・。 作中には、スイスのインターラーケンがちょっとだけ(3作目のモールパンヒルズ)出てくる。 「夜には、ヘーエベーク沿いの明かりでライトアップされる。そして野原のさらに向こうには、そう、のしかかるようにアルプスの山々がそびえている。アイガー、メンヒ、ユングラフラウ・・・・・・稜線が見える。大気は心地よいほどに暖かくて、私たちの奏でる音楽で満ちている」 短い時間だったが、インターラーケンに滞在したことがある。この文章を読んで、乾いた空気の中を歩いた数年前の夜を思い浮かべた。しかし、スイスからイギリスに観光でやってきた音楽家夫婦が登場するこのモールパンヒルズの物語は、人生のむなしさ、難しさを印象付ける作品なのだ。 この短編集は人生の哀感だけでなく、郷愁や若い日の夢と挫折、愛の終焉など、人生の奥の深さをイシグロらしい静かなタッチで描いている。 訳者の土屋政雄もあとがきで書いているが、最後の5作目の「チェリスト」は不思議な物語だ。若い将来性あるチェリストがある町で知り合った米国人の自称「チェロの大家」という女性と知り合い、レッスンを受ける。そして若者は自信を持って契約した演奏会場に向かう。 5年後、若者は別人のようになっている。音楽家の片鱗はもうない。若者を指導した女性は一体何者だったのだろう。イシグロは、それについて何も書いていない。読み手に勝手に想像してくださいといっているのかもしれない。いずれにしても、不可思議な人間が存在することを教えているようだ。 イシグロは青春時代、ミュージシャンを目指したことがある。この短編はそうした音楽への思いを文字にしたといえるようだ。イシグロは、ソーシャルワーカー(日本では社会福祉士)の経歴もあり「わたしを離さないで」という医学(科学)を舞台にした作品もある。どの作品でもイシグロの目線は低い。抑制や格調高さ、エスプリ、詩情といった言葉を超えた余韻を5つの物語で味わった。