小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

474 「泳いで帰れ」と怒る直木賞作家 抱腹絶倒「奥田英朗」の五輪観戦記

野球のWBC大会でで日本はなぜか2回続けて優勝した。しかし、アテネ、北京のオリンピックで野球は決勝に残ることができずに胴メダルと4位に終わった。オリンピックは全世界が注目する大会であり、重圧も違うし選手の意気込みもWBCとは問題にならないはずだ。

作家の奥田英朗は「空中ブランコ」で直木賞を受賞したが、その授賞式を欠席しアテネオリンピックを観戦した。その観戦記が「泳いで帰れ」という抱腹絶倒間違いなしの愉快な本だ。

作家という仕事は因果な商売だと思う。好きなスポーツの観戦が入っているとはいえ、それを文字にしなければならない。しかも自分をさらけ出す必要がある。あくまでも当事者として書かないと、このような観戦記はつまらない。だから、奥田は正直に自分の行動を記していく。

ホテルの部屋で朝起きたあとのトイレの話は、普通の人は日記には書かない。しかし奥田はそれを面白く読ませる。「軽い便意をもようしたので、トイレに行き、便座にまたがる。犬の糞のような硬いのがポトンと出た」。この後、便器に付着した汚れをブラシで落とすまでを詳しく書いていく。トイレについては、この後も日記風のこの作品では何度も登場する。

奥田は野球ファンである。そのために雑誌社からの誘いで海外旅行は乗り気でないのに、アテネまでのこのこと旅行する。日本チームの優勝、金メダルを確信してのことだった。だが、結果は準決勝でオーストラリアに破れ、銅メダルに終わる。

そのオーストラリア戦で、奥田は怒る。まるで高校野球のような、ちまちまとした野球をやり、負けるはずがないと思っていたオーストラリアの軍門に下ったからだ。この試合で、病気の長嶋茂雄氏に替わって指揮を執ったのが中畑清ヘッドコーチだ。彼は、威勢がいいそれまでの言動に反比例するような試合運びをした。

バントの多用なのである。その前の試合でも主力打者の福留や城島がセーフティバントをしている。中心打者なら思い切りバットを振ればいいのにと奥田は思う。そして、また準決勝でことあるごとに中畑はバントの指示を出して、完敗してしまった。

奥田は書く。「ははは、完全に見限った。好きにしてくれ。ここにわたしの好きなベースボールはない。勇敢な戦士は1人もいない。もし、ここに白い横断幕があったら、こう殴り書きする。…《泳いで帰れ》さっきからそう怒鳴りたくてしようがないのだ」

奥田は怒ってばかりで旅を終わったわけではない。ギリシャから帰国する途中、パリでトランジェットの時間をつぶす。

フレンチを食べた奥田の感想。「泣いてもいいですか。肉を食って泣きたくなったのは、これが初めてです。世界はいいところだ。日本にこもってばかりではいけませんね。・・・旅はしてみるものだ」。本当にフランス料理のおいしさがこの表現でよく分かる。奥田が最後に書いているように、旅をすることはいいことだと私も思う。家にこもりがちな人は、億劫がらずにぜひ旅に出ることだ。