小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

453 みずみずしい感覚 「今ここにいるぼくらは」

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川端裕人はテレビ局の報道記者から転身した作家だ。関西から自然がいっぱい残る里山の近くに家族とともに引っ越してきた博士(ひろしと読むが、あだ名ははかせ)の小学生時代を7つの話に分けて描いた。 それは著者の歩んだ昭和の原風景であり、瑞々しい感覚が伝わる大人も子どもも一緒に楽しむことができる作品だ。 報道記者は、事実との闘いである。そこにはフィクションが入り込む余地はないはずだ。だから、川端のように鋭い感性を持った記者は報道とは別のフィクションの世界に憧れる。その代表は井上靖であり、司馬遼太郎だった。 人の感性は生まれつきのものであり、後年になってそれを身に着けようとしてもできない。その意味で、川端の感性は豊かすぎるくらいだ。少年時代の経験もたぶんに生きているのだろう。 里山の麓という住環境のもとで川端が少年時代を送ったかどうかは知らない。だが、この作品に描かれる里山には憧れる。私も博士と同様、クワガタ取りは夏休みの日課だった。 博士は関西から引っ越し、新しい学校に転校する。最初は戸惑うが、次第に打ち解けていき、個性ある同級生と同じ時代を共有する。学校の外ではオニババや王子様というさらにユニークな人とも出会う。 だが、この作品から伝わるのは「人間は孤独」ということだ。好きになった帰国子女の山田とも、オニババとも、そしてアメリカ帰りのヒッピー的生き方の王子様とも別れがやってくるからだ。 しかし、それでも爽やかな小説であり、こんな少年時代を送ることができるとすれば理想である。塾など登場せず、子どもたちは伸び伸びとしている。現代社会とかけ離れ、昭和生まれには郷愁を感じさせる小説だ。