小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

376 新年の風景 09年

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朝、ふだんよりやや遅く起き、慌てて着替えて外に出た。もう間に合わないかと思った。初日の出である。だいぶ明るくなっている。遊歩道には、散歩の人たちの姿が目立つ。でも、間に合った。太陽が思い切り、輝いて見えた。 暮れに左足を痛めたので、犬のhanaの散歩は家族に譲って1人で少しだけ歩いた。散歩の人たちの表情はいつもとそう変わりはない。太陽は、そんな人たちを分け隔てることなく照らしている。 初詣はいつもの弘法大師を祀った寺だ。人出は例年とそう変わりはない。10時半になると、境内の一角につくられた舞台で獅子舞が始まった。すると、参拝者たちが舞台のそばに集まってきた。私もそれにつられてその輪に入る。獅子舞が終わると、新年を祝う紅白の投げもちが始まるのだ。 5、60人は集まっただろうか。舞台の上にはもちを投げる3人が姿を見せた。40代の男性、それに17、8くらいの女の子、もう一人は6、7歳くらいの女の子だった。投げもちが始まった。紙に包まれたもちが次々に投げられる。輪の中ほどにいる私のところまではなかなか届かない。 ようやく1個が近くに投げられ、だれもがキャッチできずに私の足元に落ちた。これを拾いあげる。投げ手は後方に届かないことにようやく気がつき、懸命に力を入れて遠くに飛ばす。その1個が手を上げている私の右手に入り、2個目を受け取ったのだ。わずか数分の行事である。気がつくとすぐ近くに娘がいたが、手には1個もない。「また運は、お父さんの方に行ってしまったな」と、彼女が言った。 初詣からの帰途、富士山がよく見える公園に行くと、雪を抱いた美しい姿が見えた。「こんなにきれいな富士山は久しぶり」とは、連れ合いの台詞だ。 家に帰ると、年賀状が届いていた。知人は「牛のようにゆっくり歩こうとしても、心は怒です」と書いている。昨今の世相に対し、憤っているのだろう。その通りだと思う。人間の感情は喜怒哀楽である。昨年後半から、多くの人はこの2文字目と3文字目の「怒哀」を感じているはずだ。だれもが「喜びと楽しみ」を取り戻す2009年にしたいと思う。