小径を行く

時代の移ろいを見つめた事柄をエッセイ風に書き続けております。現代社会について考えるきっかけになれば幸いです。筆者・石井克則(ブログ名・遊歩)

318 8月(10) 戦争絶滅へ、人間復活へ

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秋田県横手市在住のむのたけじさんは、93歳の老ジャーナリストである。むのさんは、フリーのジャーナリスト、黒岩比佐子さんとの対談(岩波新書)で「戦争の世紀」といわれた20世紀を中心に振り返り、厳しい視線を私たちに向ける。それは、私にとって目からウロコのような、大先輩の確かな視点なのである。

この本を読んで、むのさんと同じ道を歩みながら、何ができただろうかと自問した。自戒すること大なのである。たまたま、私の生きた時代は戦後の復興期から立ち直った成長の時代だった。戦争の影は次第に薄れていった。しかし、世界では戦火は消えなかった。

私を含め、多くの日本人は「対岸の火災視」していたのかもしれない。自分のジャーナリストとしての弱さを感じながら、むのさんのような活動は全くできず、無力のままに長い生活を送ったとしか言いようがない。

むのさんの言葉が心に響く。93歳のその言葉は、96歳の現役医師、日野原重明さんをも連想する。

平和運動について

「これまで戦争をやめさせた反戦運動はない。戦争をなくすには、戦争をする必要をなくして、戦争をやれない仕組みをつくらなければだめです」

反骨の新聞記者といわれた桐生悠々について

「戦争中に反戦を唱えたのは美談だが、無力な美談だといわざるを得ない。人は美談をつくるために生きているのではない」

ジャーナリズについて

「ジャーナリズムとは、いいことは増やす。悪いことは二度と起こらないようにすることだ。最近のジャーナリズムはそこが抜けてしまっている」

憲法9条について

「あれは軍国日本に対する死刑判決だ。反面、憲法9条をよい方に考えると、人類の輝かしい平和への道しるべであり、その両面を持っていることを忘れてはならない」(同書によると、日本の憲法9条のような文章はないが、憲法で戦争反対、世界平和を力説している国は世界には38カ国ある。その中で中米のコスタリカが平和を熱心に追求しているので知られるという)

主語がない日本

「広島の平和記念公園の原爆慰霊碑には、安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから、という文字が刻まれているが、こういう過ちは二度とだれにもやらせないぞ、という言葉でなければいけないはずだ」

核兵器のない世界へ

「私が提唱するのは、一人ひとりの自分に戻って、その一人ひとりが平和な社会を求めていくという平和主義だ。その生き方を自分の日常の中で365日、毎日の生活に貫徹することだ.。個々の人間が自分自身に責任を持ち、何よりも自分に対する誇りを持つことだ」

むのさんの含蓄ある言葉の連続に、考えることが多かった。中でも終わりの章「絶望のなかに希望はある」で、むのさんは言う。「こらからは女中心の世の中に変えることだ」と。さらに「もう宗教は卒業すべきだ。それに変わるのは人間の常識だ」という言い方も説得力がある。(むのさんの現代の子供たちに対する見方も面白い)

むのさんよりも後輩の私たちは、幸いこの日本が戦火に燃えることを経験せずに生きてきた。しかし、将来の日本、世界はどうなるか。全く予測ができない時代を迎えている。そうした時代にあって、何ができるかを考えるためのヒントがこの本には凝縮されている。